慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第137号 平成27年 盂蘭盆号

慧光137号

戦没者も帰ってくる
禅福 泰文
父母恩重経を読んでみる 13
宗禅寺副住 高井和正
禅と共に歩んだ先人 出光佐三 第六話
一峰 副住 義紹
禅寺雑記帳
禅林 啓純

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戦没者も帰ってくる

毎年八月十五日の旧盆が近づくと、一種独特の嫌な気分にさせられます。首相
が靖国神社に参拝するかどうかとか、先の戦争の反省と謝罪はどうするのか、といった報道が毎年繰り返されるからです。特に今年は戦後七十年(特別な意味があるとは思えませんが)ということで、中国や韓国の味方としか思えない日本のマスコミが、一層自虐気分を煽りたてるのは目に見えていますので、例年にも増して嫌な気分にさせられるのは必定と、今(六月中旬)から覚悟はしています。

ところで、日本ではお盆には亡くなった人が自宅に帰ってくることになっています(昔は正月もそうでした)。この亡くなった人が帰ってくるという話は、本来仏教とは関係のない話ですが、このお伽話のような習俗が廃れずに残っているということは、多くの日本人がこの話を
支持しているということになります。ということは、大東亜戦争(太平洋戦争ではありません)で亡くなった三百万の人も、それぞれの家に帰ってくるということです。

お盆に先祖が帰ってくるという習慣は、残された家族が年に一度くらいは亡くなった人に会いたいという気持ちと、亡くなった人がわが家に帰って来たいという気持ちが、合わさって出来あがったものでしょう。生きている自分と亡くなった愛しい人と、いつまでもつながっていたいというお互いの思いが、造りあげた物語でしょう。思えば、美しい物語です。

それでは今、戦争で亡くなった人たちは、まず帰ってくるべき家がありますか。
待っていてくれる家族(子孫)はいますか。かろうじて子孫がいたとして、彼等は歓迎してくれますか。家のなかに先祖の居場所はありますか。居心地は?

若し不確かで悪意のある言説を軽々しく信じ、先祖を尊敬するどころか、過去の行いを糾弾し、先祖に反省と謝罪を迫るといったようなことがこの日本で行われるとしたら、お盆の美しい習慣は消滅し、同時に国の未来も失われるでしょう。こんな国に先祖は帰って来ません。
(禅福 泰文)

父母恩重経を読んでみる 第十三話

仏教とお経
仏教は紀元前五百年ごろ、二千五百年前に釈尊が教えを広めたことから始まっています。釈尊自身は、「人間はなぜ生きるのか」ということを悩まれ、「よりよい人生を過ごすために」出家をするわけですが、御修行の果てに悟りを開かれ、数多くの教えを遺されました。

お経とは釈尊の遺された教えを文字に記したものですが、釈尊自身は布教をするにあたり、その教えのすべてを説法という形で残され、文字として残すことはしませんでした。

釈尊がお亡くなりになった後に、その教えを伝えていこうというお弟子さんたちの意志もあり、編集の会議が開かれました。この会議は結集(けつじゅう)と呼ばれています。

結集によってお経が成立すると写経され、インドのみならずミャンマーやタイ、朝鮮とアジア地域へとチベット、中国、伝播されてゆき、その時代時代の現地の教えと人々の心が刻まれていきました。

大乗仏教と上座部仏教
日本への仏教の伝来はインドからチベット、中国、朝鮮半島を経ています。東南アジア地域の仏教を上座部仏教と呼び、日本や東アジアの国々の仏教は大衆仏教と呼ばれています。その違いを簡単に記すと、上座部は釈尊以来の仏教の姿を忠実に守る仏教で、出家した人のみが救われる仏教です。大乗仏教は大乗の名の通り、大きな乗り物に例えられ、実際に出家をしなくても仏教の信仰をすることによって在家の身でも救われる仏教です。
経典自体も大乗と上座部では異なるものが伝わりました。

父母恩重経は大乗仏教の経典です。中国で成立したと考えられているお経です
が、日本においては古くは奈良時代に伝播していたとされ、正倉院の蔵の中にその存在を確認することができるようです。坐禅や托鉢など直接的に仏道修行をするよりも、日頃から親孝行に努めることを奨励しています。

親孝行というと堅苦しく聞こえるかもしれませんが、要は自分の周囲にある絆と向き合ってみましょうということではないでしょうか。一人の人間が生涯を全うするということは、あらゆる命との関わり合いがあるということです。そしてその関わり合いを素晴らしく感じるかどうかによって人生の素晴らしさが変わってくるのではないでしょうか。

長らく父母思重経を読んできましたが、今回が最後になります。親子の姿を通じて、命の素晴らしさと自分自身の存在の素晴らしさを感じでいただけたら、有り難く思います。
(宗禅寺副住職 高井和正)

禅と共に歩んだ先人 出光佐三(いでみつさぞう)第六話

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、戦前・戦中・戦後の日本の石油流通を支え、この国の発展に尽力した、今に続く「出光興産」の創業者である「出光佐三」の六回目をお話したいと思います。

日章丸事件2(にっしょうまるじけん)
昭和二十八年、英国により石油輸出を封じられていたイランから、日本への輸入を実現する事を目指した佐三は、慎重に事を進めました。この計画が明るみになれば、英国企業・政府の妨害に逢うのは確実で、実現不可能になる事は明白だったからです。いざ日本よりタンカーを出港させるにあたっても行先はサウジアラピアだとして届けてました。ちなみにこのタンカーの名前が「日章丸」で、出光興産の自社船でした。

本当の目的地は船長以下数名しか知りませんでした。それだけ情報の漏洩を恐れたのです。インド洋に出て初めて全員に行先を告げると皆驚きましたが、佐三があらかじめ船長に渡していた檄文(げきぶん)に触れ、出光興産独特ともいえる団結心をもって事にあたる体制が整いました。これはやはり、佐三がいかに社員を偶してきたか、会社を運営してきたかという実績にかかる事であり、「出光興産」という会社だからこそ、なしとげられた事なのだろうと思われます。

難関を乗り越えながらも、無事イランの石油積み出し港、アバダンに到着した日章丸の件は、すぐにニュースとして世界中に伝えられました。このニュースは驚きをもって迎えられるのですが、そこには英国企業・政府の反応に対しての危倶がありました。英国側が黙って見ているはずも無く、日章丸、が無事日本に帰還できるのか、帰還できたとして、差し押さえに逢わずに荷受(にうけ)できるのかといった畏れを皆抱いたのです。

日章丸は英国軍艦にみつからない様に一切の交信を絶ち、急いでペルシャ湾を通り抜けました。多くの船が通るマラッカ海峡は避け、拿捕(だぼ)を間逃れました。帰港地は広島の徳山と発表されましたが、川崎に帰港しました。英国側はこの石油の差し押さえを請求してきました。

しかし佐三は手を打っていました。あらかじめ裁判所に「英国企業が提訴してきても、同社だけの言い分を聞いて差し押さえの裁定を出さないようにしてほしい。こちらの言い分も聞いてほしい」という内容の上申書を提出していたのです。

さらに川崎に帰って来たのは土曜日、相手が差し押さえの請求をしても、両者の口頭弁論があれば閉廷して、翌日はお休みです。その間に十分積荷の陸揚げをおえる事ができたのでした。
以下次号
(一峰 副住 義紹)

禅寺雑記帳

■五十年ごとに行われる祖師の法要を、遠諱(おんき)といいます。臨済宗の始祖、臨済禅師が亡くなられて千百五十年、また日本臨済宗中興の祖、白隠禅師の二百五十年となるのをうけ、来年全ての臨済宗と黄檗宗合同で遠諱大法要が行われます。その前企画として、去る五月三十一日に六本木ヒルズ四十九階にて記念イベント『禅ってなに?』が行われました。

■「もしもお二人が現代に生きておられたら、いったいどのように禅を伝えるだろうか」というコンセプトから、東京全体を一望出来る地上二百メートルの場所で講演、坐禅、写経、禅僧との一対一の対話などを催したのです。

■実はそのまさに前晩に大きな地震があり、このビルのエレベーターが停止して二百人あまりが降りられず立往生したというニュースが大きく取り上げられたのですが、その影響もなく実に大勢の方がお見えになりました。若い方の比率も結構高く、これは人口の多い東京のど真ん中六本木でやったからこそだと思います。参加された方々は概ね満足して帰られた様子、今後もこのような機会を設けていこうと話があがっていました。

■来年は本番の年、十月二十九日〜三十日に行われる鎌倉での千人の坐禅会は一般の方が誰でも参加出来ます。また様々な講演なども行われますので、興味のある方は臨済宗の公式ホームページをご覧下さい。

■お正月号で『ぶっちゃけ寺』というテレビ朝日のお坊さんバラエティ番組を紹介しました。あの時は深夜の放送でしたが、好評なのでしょう、四月からゴールデンタイムに昇格し、毎週月曜日の十九時から一時間の番組として放送されています。なかなか面白いし、意外とためになります。お勧めです。

■毎年恒例の『羽村灯篭流し』が、八月一日(土)十八時三十分から行われます。
場所は羽村堰下の河原です。お寺でお盆にやっているお施餓鬼の法要を河原でやり、読経、御詠歌の奉詠の中灯篭を流します。先祖の供養、家内安全、青少年の健全育成、世界平和などを祈念する行事です。夏の夕暮れ、涼しい風に吹かれて沢山の灯篭が流れていく様子はなんとも雰囲気があります。本当に大勢の方の協力によって運営されており、大規模な行事です。未だ参加された事が無い方は、是非一度足を運んでみて下さい。当日参加出来なくても、事前に申し込んでおけば当日に故人の戒名などを書いた灯篭を流して供養して頂けます。灯篭は一基千円です。何卒ご協力をお願いいたします。
詳細は菩提寺か、実行委員さんにお尋ね下さい。なお雨天の場合は翌二日になります。

(禅林 啓純)