慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第139号 平成28年 正月号

慧光139号

「後の半截」をどう生きるのか
一峰 小住 義紹
白隠禅師坐禅和讃を読んでみる 2
宗禅寺副住 高井和正
禅と共に歩んだ先人 出光佐三 第八話
一峰 小住 義紹
禅寺雑記帳
禅林 啓純

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「後の半截(のちのはんせつ)」をどう生きるのか

さて、「ありがとう」の対義語は何だかご存知ですか?先日インターネットを閲覧しておりましたらそういう記事を見つけました。はて何だろうとしばし考えましたが思い当りません。それで記事を読んでみますと、「ありがとう」は漢字を当てれば「有り難う」となり「有り難し」という事である。「有り難し」とは有るのが難しい事、つまりめったに無い事と考えられる。だから「ありがとう」の対義語は「あたりまえ」なのだ。---という事でした。

私も齢は四十台中ばを過ぎ後半生に入って久しいのですが、年々時が経つのが速くなっていくのを感じます。ついこのあいだ新年を迎えたと思っていたのに今日は「慧光」の正月号の原稿を書いている。 そんな感じです。そのあわただしい日常に埋没し、日常の大部分を「あたりまえ」ですませてしまっている事に気付きます。日常と書きましたが、この言葉もクセ者です。日々の生活の大部分を日常というものに入れてしまい、結果いろいろな事を「あたりまえ」にしてしまっているのではないか?と思うのです。でも「日常」と「あたりまえ」は全然別の事です。日常を健やかに過ごせるならばそれは「有り難い」事です。災害等の報道に接した時には、「有り難い」と思いますがすぐに忘れてしまいます。

せっかく頂いたこの命、人生を豊かなものにするのは他ならぬ自分自身です。その限りある命の中で「あたりまえ」を増やしていく事は、自らで自らの命を薄めてしまっているのではないでしょうか?事に当って「ありがとう」という気持ちで臨むからこそ稔り(みのり)ある豊かな人生を送れるのではないでしょうか?

中国には「人を看るのは只だ後の半截を看よ」(ひとをみるのはただのちのはんせつをみよ)という古いことわざがあります。日々が加速度的に過ぎ去っていく後半生ですが、これからが自分の人生を決めるのだとの思いで、「あたりまえ」のとらえ方で日々を過ごさない様、自らを見つめ直してみてはいかがでしょう。
(一峰 小住 義紹〉

白隠禅師坐禅和讃を読んでみる その2

衆生(しゅじょう)本来仏(ほとけ)なり
(白隠禅師坐禅和讃より抜粋)
※衆生(しゅじよう)―この世の生きとし生けるすべての生き物のこと
「この世の全ての生き物は本来、仏様なのである」
先号より「坐禅和讃」というお経を読み始めました。その冒頭は力強い言葉、命あるもの仏であると始まります。ここで言う仏とはどういう存在なのでしょうか?

佛(仏) という字
仏という字をあてがったのには諸説あるようですが、漢字には一文字だけでもそれぞれ意味があります。戒名を付ける時も一字一宇の意味を考えてつけるのですが、そもそもほとけという字には佛と仏、二種類あります。仏は佛の簡略体になるわけですが、中国では佛の直接表現することへの畏敬の念から仏のほうが多く使われ、日本では直接的に表現をしないと失礼にあたるから佛の字を使う場合があります。建長寺の坐禅堂は大徹堂といいますが、日本の坐禅堂の多くは選佛堂(場)とも呼ばれています。選佛堂の場合、旧字の佛の文字が使われることが多いようです。

二つのほとけの字は共に、にんべんの字です。ご存じの通りにんべんは人間の動作や行動に関わる字に使われます。ムも弗も否定を表現している字で、例えば払うは手を用いて拒否をすることであり、りっしんべんの悌という字は心が晴れないという意味の字です。つまり、仏と佛にはどちらも人をはらう、ほとけというのは人の性(さが)を否定した人間ということになります。

人の性より仏の性
仏教の世界で仏性(ぶっしよう)という言葉があります。文字通り仏の性(さが)ですが、仏性とは我々に本来備わっている他者を思いやる心、清浄な心のことです。例えば、電車の座席に座っている時、お年寄りゃ体の不自由な方が乗ってきた場合、「席を譲ろうかな?」と多くの方が心の中で、感じるはずです。実際に行動に移すかどうかは別として、そう思う心が我々にはちゃんとあるはずです。真っ直ぐに歩んでいる人はもちろん、人の性に負けて罪を犯してしまった悪人であっても、常に仏になれる心を持っているのです。それは言い換えるならば、すべての人間は今ここに生きる意義があるということであり、だからこそ全ての命は尊い存在なのであるということではないでしょうか。

命あることの真の素晴らしさに目覚めた存庄が仏様であると言えるかも知れません。
(宗禅寺 副住職 高井和正)

禅と共に歩んだ先人 出光佐三(いでみつさぞう)第八話

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、戦前・戦中・戦後の日本の石油流通を支え、この国の発展に尽力した、今に続く「出光興産」の創業者である「出光佐三」の八回目をお話したいと思います。

仙崖義梵(せんがい ぎぼん)
「日章丸事件」を乗り切った出光興産は莫大な利益を上げました。それは消費者にも還元され、安価に石油製品を手にできる様になったのです。また副産物もありました。自前の石油精錬所を持たない出光興産は悲願であったそれを徳山に建設する運びとなりました。問題はその資金です。日本の銀行はその額が巨大な事と、自己資産の少い出光に融資しようとしませんでした。そこで佐三は米国へ行き「バンクオブアメリカ」という米国最大の銀行に融資を申し込みました。話がトントン拍子で決まったのは、やはり「日章丸事件」で米国にも出光興産の評判が伝わっていた事が大きかったのです。

それからも様々な困難を乗り越えながら日本の発展と同様に出光興産は拡大を続けました。そのさなか昭和五十六年、佐三は九十五歳の人生を終えました。

さて、佐三の人生を語る事において仙崖和尚への傾倒は外せないでしょう。福岡での高校生時代、古物屋で見かけた仙崖和尚の「指月布袋」という墨跡(ぼくせき)(臨済宗の老師が表した書き絵はこう呼ばれます)に一目惚れした佐三は、父にねだって手に入れます。商人として軌道に乗ってからはその収集熱も高まり、そのコレクションは膨大なものとなりました。

仙崖和尚は僧名を仙崖義梵といい、江戸時代の高僧です。博多の聖福寺で長く住持を勤め、大くの墨跡をのこしました。それらは酒脱(しゃだつ)、瓢逸(ひょういつ)、天衣無縫(てんいむほう)、自由闊達(じゆうかったつ)といえるものでした。

独自の方法で道を切り開く佐三にはやはり敵が多く、四面楚歌になる事も多々ありました。ひるむ心を世俗に媚びぬ高僧の墨跡を見て励まされる事もあったでしょう。むきになる自分を諫め、物事に囚われぬのびのびとした仙崖和尚の世界に触れ、屈託を解き放った事もあったでしょう。時空を越えて仙崖和尚は佐三の師だったのです。

仙崖和尚は多くの逸話を持ち、またその墨跡の持つ独特の世界により、多くの人に敬愛されている、禅僧です。東京丸の内にある出光美術館で多くの作品が展示されていますから、良かったら見学されてはいかがでしょう。
(一峰 小住 義紹)

禅寺雑記帳

平成二十八年の新年となりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

・今年は我が臨済宗にとって大きな節目の年になります。開祖、臨済義玄禅師と日本臨済宗中興の祖、白隠慧鶴禅師のそれぞれ千百五十年、二百五十年の大遠諱(おんき)法要、およびそれに関連したさまざまな行事が行われるのです。法要は僧侶しか参加できませんが、十月二十九日、三十日に建長寺と円覚寺で行われる坐禅会は一般の方が参加できる千人規模のものです。東京国立博物館では特別展『禅―心をかたちに!』(十月十八日~十一月二十七日)も開催されます。他にも一般の皆様向けに記念のシンポジウムや六本木
ヒルズでのイベントも企画されています。

臨済禅 黄檗禅 公式サイト 臨黄ネット

詳細はこのコーナーで随時お知らせする予定ですが、臨済宗公式ホームぺージ上では早く詳しい情報、が確認出来ると思います。二〇十六年の今ここに生きているから巡り合えた機会です。是非何かひとつでもご参加下さい。次回の遠諱は五十年後ですよ。

この記念事業のポスターの喜は、女性の書家、金澤翔子氏によるものです。「ダウン症の天才書家」として有名な方です。書家の母親は、彼女が五歳のとき、友達を作るきっかけになればと考えて書道教室を開き、その時から指導を始めました。書道だけでなく、料理、掃除、洗濯など、生きていく上で必要な事を、我慢強く見守りながら見につくまで覚えさせたのです。般若心経の二百七十六文字の全てを覚えていて、見ないで書けるそうです。

毎年建長寺でも個展を開催されています。その書は力強く、生命力にあふれでいます。書を見て涙する人が沢山います。「出生前診断」によって生命の選別、がなされる現在、彼女の存在は沢山のことを教えてくれます。
(禅林 啓純)