慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第140号 平成28年 春彼岸号

慧光140号

羽村、鎌倉の建長寺で学んだこと
宗禅寺 高井正俊
白隠禅師坐禅和讃を読んでみる 3
宗禅寺副住 高井和正
禅と共に歩んだ先人 出光佐三 第九話
一峰 小住 義紹
禅寺雑記帳
禅林 恭山啓純

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羽村、鎌倉の建長寺で学んだこと

羽村にある四ヶ寺のお寺は全て、鎌倉の建長寺を本山とする臨済宗という禅宗のお寺です。今から四十年前、建長寺での修行を終え、羽村臨済会、そして西東京総済会を設立し、この四十年間は本山建長寺でいろんな仕事をしました。

羽村では先ず、四人の和尚さんが手を取り合い、合同の坐禅会、助け合い托鉢、仏教の勉強会、西東京はそれを更に拡大して、東京都下七十五ケ寺で講演会や会員相互の親睦、交流をはかり、共に仲間であることを確かめ合いました。

鎌倉はさすがに四百七ヶ寺の本山ですので、スケールの大きなことを経済的にも組織的にも宗教的にも支えられて、実に活発にさまざまに行ってきました。
その中で一番、心を配ったことは、今まで内向きであった建長寺(派)を、管長さんとも相談しながら、外を向いて開かれた寺にする努力でした。

建長寺は素晴らしい自然環境に恵まれて、禅宗の伽藍が維持され、永年の修行で確立している禅の生活があります。この素晴らしいパワーを有効に皆様に喜んでもらうにはどうしたらよいか。

毎週金・土の坐禅会、三門土曜法話、坐禅研修の受け入れ、講演会や各種イベントの開催、こんなに沢山のことをやっても大丈夫なのとの声を聞き乍ら、最近では震災復興支援事業のサポートと青少年育成事業に力を入れてやっています。

その基本に禅のお寺であること、手を合わせること、修行であることを置いて、お寺にはもともと、来山して下さる方の心をほぐしてくれる優しさや安らぎがあります。手を合わせることができ、吹いてくる風に心と体を癒し、そこにいるだけでホッとできます。お寺の和尚さんやそこにいる人、催しに参加して下さる方、催しを主催して下さる方々、みんなを受け止めて、安心していろんなことができるパワーをお寺はもっています。

建長寺の本尊様のお地裁様、そして各お寺の御本尊様が私たちを見守って下さっていること、沢山の支持を得て守られていることが、安心感を作ってくれているのでしょうか。

それぞれの村や地域にはお寺があり、神社があり、時には教会もあります。その存在は、元々私たちの心を支えて、育ててくれる場所であり、そのノウハウをしっかりもっています。宗教者も檀信徒の方々と、その素晴らしい存荘、役割をしっかり発見して、これを私たちの日常の生活の中に活かしていかねばなりません。宝のもちぐされ、ガラン堂にならないよう注意を怠ることなく励んでいきましょう。
(宗禅寺 高井正俊)

白隠禅師坐禅和讃を読んでみるその3

衆生木来仏なり
水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく
衆生の他に仏なし
(白穏縛部坐禅和讃より抜粋)
※衆生(しゅじよう) この世の命あるものすべてのこと、生きとし生けるもの。

水も氷も本質的には同じもの
白隠さんが、水と氷に例えて我々の心の姿を説いて下さっています。
水も氷も元はといえば、どららも同じ成分のものです。科学的に言えば水素
二つと酸素一つが合わさったものです。ただ、周辺の環境によって寒ければ雨が雪
となったり、氷になったりするだけのものです、例えば水には決まった形はあり
ませんが、氷には形、があります。水は草水や動物などすべての生命の根源となりますが、氷では凍傷になったり時としては生命をも奪いかねない恐ろしさを持ち合わせています。このように水と氷では形も働きも大いに違うようです。まるで別物のように違う水と氷ですが、中身は全く同じものなのです。我々人間の心も水と氷と同じことが言えるのではないでしょうか。

執着(しゅうじゃく)の心
執着心という言葉があります。一般的には良い意味の言葉として使われる場合
もあるようですが、仏教では悪い言葉として捉えられています。 我々の心は一旦
執着してしまうとその対象に閲執してしまい、離れられなくなり、その対象以外
のものを受け入れること、が難しくなるからです。
心配ごとや不安の種も執着心から生まれるのです。白隠禅師はこの執着して固まってしまった人間の心のことを氷に例えているのです。いつもはサラサラと水のように流れている心が氷のように固まってしまうことがないでしょうか。

心は常に動いていいもの
皆様は何かをする時に、無理に心を落ち着かせようとしていないでしょうか?
心というものは常に動いていいもの、もっと言えば、常に動いていないといけないものです。 常に動いているのが正常な心なのです。例えば、道を歩いていてきれいな桜の花に出会ったとしましょう。「ああきれいだな」と一瞬間思います。時には足を止めて、見入ってしまうこもあるかもしれません。 その時、心は歩く動作にあるのではなく、桜に向かいます。道端の桜の花を見ても心が動かない場合は、心が氷のように固まってしまっている、何かに執着してしまっている自分がいるのではないでしょうか。

心は常に水の如く、サラサラと自由自在に流れていき、色々なものと融和していく、そんな心の働きを白隠禅姉が説いておられます。
(宗禅寺 副住職 高井正和〉

禅と共に歩んだ先人 出光佐三(いでみつさぞう)第九話

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、戦前・戦中・戦後の日本の石油流通を支え、この国の発展に尽力した、今に続く「出光興産」の創業者である「出光佐三」の九回目をお話したいと思います。

鈴木大拙(すずきだいせつ)

出光佐三の人生を語る上で仙崖和尚(せんがいおしょう)と共に外せないのは「鈴木大拙」との交流です。その出会いは奇しくも仙崖和尚の墨蹟(ぼくせき)がもたらしました。

昭和三十一年、米国の美術館で開催された「日本文化祭」に佐三は自らが所蔵するも仙崖和尚の墨蹟を出品しました。米国ののコロンビア大学で客員教授をしていた鈴木大拙がこの展覧会に足を進び、その墨跡を堪能(たんよう)した末、佐三に手紙を出します。
「このようによく仙崖和尚の墨跡を蒐集(しゅしゅう)している貴下を尊敬する。一面識もないが、数十年の友人であった気がする」という内容でした。感激した佐三はすぐに返事を出し、そこから交流が始まりました。

鈴木大拙とは、本名を貞太郎といい、明治三年金沢に生まれました。佐三の十五才年長になります。東京大学哲学科選科を卒業後、鎌倉円覚寺の釈宗演老師(しゃくそうえんろうし)に参禅し、大拙の道号(修行者としての名)を得ます。明治三十年に渡米してから、欧
米各地で仏教思想を説き、「禅思想史研究」など多くの著書を著した日本の生んだ優れた思想家の一人です。

二人の初めての対面は昭和三十四年、熱海で静養中たった大拙を佐三が訪ねてのものでした。大勢のやり方に逆らい、独自の価値感と手段で会社を大きくして
きた佐三でしたが、内心では迷うこともあったでしょう。経営上の悩みを吐露(とろ)したのです。そこで大拙より「自信をもって貫け」という励ましを受け、また自信を取り戻したのです。

しばしば大拙の元を訪れた佐三は様々な教えを受け、その薫陶(くんとう)に触れました。
仙崖和尚が時空を越えた師であったと前回書きましたが、大拙はそこに具体性を与えてくれる生身の師であったといえるでしょう。大拙が九十六才で亡くなった時の追悼文では「(先生の死は)私にとって暗夜に灯火を失ったようなものだ」と述べています。

佐三の死後、その遺骨は郷里の菩提寺に葬られましたが、佐三の遺言により分骨され、その遺骨は鎌倉東慶寺の大拙の墓所の近くに納骨されました。大拙先生より決して大きな墓にしてはならぬとも遺言したそうです。この項終わり
(一峰 小住 義紹)

禅寺雑記帳

■「暑さ寒さも彼岸まで」とは本当によく言ったもので、春のお彼岸を迎え、緩かく過ごし易くなってきました。 しかし「陰」から「陽」へと大きく季節、が変わる時期、木の芽が吹くように、人間の身体も「開く状態」になり体調を崩しやすい時期だそうです。 春にやたらど眠いのはその為です。花粉症の方にとっては一年で最も憂鬱な季節でしょう。年度末でもあり、新年度の準備や卒業、入学、就職など切り替えの時期でもあって何かと忙しい時期です。春は心身ともに負担の大きな季節です。

■私達のご先祖様もそれぞれにいろんな事を乗り越えて今の私達へとバトンを繋いでくれた事でしょう。大変だけれども私達がなんとか今日を生きられる事をご先祖様に感謝して過ごすお彼岸とは、なんと素晴らしく、美しい行事ではないでしょうか。 どうぞ良いお彼岸を。

■これから暖かくなるにつれ、ジカ熱という新しい病気が流行りそうです。稀に死に至るケースもあり、また妊婦さんが感染すると胎児に深刻な影響が出る事があるという恐ろしい病気です。デング熱もそうですが、蚊によって媒介される病気です。お墓の花立てには必ず水があるので、お寺はどうしても蚊が発生しやすくなっています。夏場に花立ての水にボウフラがうじゃうじゃ湧いているのを見て震え上がった経験はありませんか。

■実はボウフラは鍋から出るイオンに弱いので、銅製の物を水に入れておくと、ボウフラが湧きません。十円玉でも良いのですが、お金は推奨出来ませんので銅線などを適当な長さに切って丸めて花立てに入れておけば効果がある筈です。花には問題ありません。本気で取り組むべき脅威だと思います。

■毎回お知らせさせて頂いております様に、今年は臨済宗の開祖、臨済禅師の千百五十年、そして日本の白隠禅師の二百五十年の大遠諱(おんき)を迎えています。まずはこの三月三日から一05まで、京都東福寺で日本中から3OO人の雲水(修行僧)が集まっての報恩大接心(大坐禅会)と、臨済宗各派の代表が集まっての大法要が厳修されました。(締め切りの都合、様子はわかりません。)

■この春、誰もが参加出来る記念イベントとしては、「春の京都禅寺一斉拝観」が実施されます。期間は四月十二日から五月二十二日まで。普段は非公開の加藍や寺宝が沢山公開され、坐禅会や写経、法話会、スタンプラリーなど、特別な催しも行われる予定です。興味のある方はパソコンや携帯がら検索して詳細をご確認下さい。尚、日本中どこでもそうですが、中国を始め、世界中から沢山の観光客がお見えになっていて、京都でもホテルが
非常に取り難い状態にありますのでご注意下さい
〈禅林 恭山啓純〉