慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第153号 令和元年 盂蘭盆号

慧光153号

令和も「今ここ」
禅林 恭山
白隠禅師坐禅和讃を読んでみる
宗禅寺 高井和正
禅と共に歩んだ先人
一峰 義紹
禅寺雑記帳
禅林 恭山

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令和も「今ここ」

元号が改まり、「令和」の時代がはじまりました。最初の元号「大化」から248番目です。元号は中国ではじまり、かつては広くアジア圏で使われた制度でしたが、現在元号を使っているのは世界中で日本だけとなりました。よくぞ残してくれたと思いませんか。是非とも、令和を良い時代にしていきたいものです。

早速、令和を社名に入れる会社が百を越えたそうです。会社の繁栄を願って新たなスタートを令和と共に切って行こう、という事でしょうから、良い事だと思います。しかし本来、元号は勅許、天皇陛下の許可無く使えないものでした。皆様の菩提寺の本山は御存知のように鎌倉の建長寺です。建長寺は元号が「建長」の時に建てられました。こうした元号を名前にした寺はそれほど多くなく、延暦寺、仁和寺、建仁寺、寛永寺などが代表的ですが、延暦寺、仁和寺は創建当時は違う名前で、後から元号を寺名にしています。創建当時から元号を冠された建長寺は、実はそれだけ日本にとって特別なお寺なのです。

建長寺は建長五年(1253)、鎌倉幕府五代執権、北条時頼が開山に宋(中国)から蘭渓道隆禅師を迎えて建立しました。正式名を『建長興国禅寺』といいます。「仏教の正面」といわれる禅の教えによって、日本国の繁栄を願ったのです。

禅とは「今ここ」の教えです。お経を読む時はお経に成り切れ、ほうきを持ったらほうきに成り切れ・・今ここの自分があるべきもの、やるべきものに成りきれという単純な教えです。世界には決まった時間には仕事中であっても礼拝をしなければならない宗教や、のべつ幕無しに呪文を唱える宗教が存在します。それが悪いとは言いませんが、禅ではお経は読むべき時にしかよみません。本尊すら決まっていないのです。仕事の時は仕事三昧釈迦も阿弥陀も忘れて良いのです。

日本は鎌倉時代からずっとこの「今ここ」を実行して来たお陰で、国土が狭く資源も乏しいのに繁栄してきたのです。「令和」がどんな時代になるかは、私たちの「今ここ」の積み重ね次第です。
(禅林 恭山)

白隠禅師坐禅和讃を読んでみる その16

◆白隠禅師坐禅和讃
衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく 衆生の他に仏無し
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
例えば水の中にいて 渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うことならず
六種輪廻の因縁は おのれが愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏み添えて いつか生死を離るべき
それ魔訶衍の禅定は 称歎するにあまりあり
布施や特戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
その品多き諸善行 みなこの中に帰するなり
一座の功をなす人も 積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いずくにありぬべき 浄土すなわち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳に触るる時
讃歎随喜する人は 福を得ること限りなし
いわんや自ら回向して 直に自性を証すれば
自性すなわち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門開け 無二無三の道なおし
無相の相を相として 行くも帰るもよそならず
無念の念を念として 謠うも舞うも法の声
三昧無碍の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当処すなわち蓮華国 この身すなわち仏なり

坐禅和歌・意訳
我々はもともと仏である 水と氷のようなもの
水を離れて氷なく 我々のほかに仏はない
皆、近くの仏を知らないで はるか遠くに仏を求む
それは水の中にいながら 渇きを求めるようなもの
裕福な家の息子が 物乞いするようなもの
六道輪廻の始まりは おのれの愚かさよるなれば
悩みに悩みぬいても 闇が晴れるとは限らない
坐禅による禅定 素晴らしきものである
布施行、持戒行の善行 念仏、織悔、修行など
全ての善き行いは 禅定あってのことである
ひとときの坐禅の禅定が 積んだ罪を滅してくれる
悪しき心はどこにあるか 善き心もすぐそばにある
ありがたくもこの教えに 触れる機会を得たとして
教えを受け入れたならば 幸福無限のこととなる
まして自ら行を積み 自己の本性感じれば
自己は即ち無性にて 言葉や理屈はいらぬもの
因果の道理に目が開けば 進むべき道は一つとなる
形なき形こそが真実となり どこにいても自分の場なり
心のひっかかりがとれれば 自らの行いすべて仏の現れ
遮るものなき空のように 心に智慧の月が照らされる
この上何を求めるのか 求めるものがないからこそ
今この場こそ蓮華国であり この身がそのまま仏となる

坐禅和讃シリーズ最終回です。
父母恩重経に続き、お経の意味を書かせていただきました。
禅は心こそが大事であると説きます。我々は無数の因縁の元にこの世に命をいただきます。日本のような裕福な国に産まれる子もいれば、紛争地域の難民キャンプで産まれる子、障害を持って産まれる子もいます。生まれの境遇に差はありますが、裕福な国に生まれたからといってそのまま幸せになるわけではなりません。財産や地位や物質的な豊かさよりも心の静けさ、穏やかさがあれば、そこに仏の智慧が現れると白隠さんがおっしゃっています。仏様にお参りをして合唱する。そこに蓮華国があります。
(宗禅寺 高井和正)

禅と共に歩んだ先人 松尾芭蕉 第十三話

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、前回に引き続き江戸時代前期に生き、日本の俳諧(俳句)を芸術的域にまで高め大成させた「俳聖」とも呼ばれる「松尾芭蕉」についてお話させていただきたいと思います。

「かるみ」蕉風の完成
「おくのほそ道」の旅において芭蕉は「不易流行」を一歩進めた「かるみ」という境地に至ったのだと前回お話しました。「不易流行」も「かるみ」も蕉風の作風を説明するものとしての言葉ですが芭蕉の人生観そのものともいえるのです。

若い頃は覇気もあり、未来に大きな希望を持って生きていても、年を経て自らの老いと向きあった時、身も弱り病がちになったり、親しい人々との死別、自らの死への覚悟と、なかなかに思い描いていた幸せな人生はやってこない、幸福とは虚妄に過ぎないのではないか?それどころか人生とは悲惨なものなのではないか?

ではその悲惨な人生をどう生きていけばよいのか。大きく二つの道がある。一つは嘆くこと。もう一つは笑うこと。俳詰はもともと言葉遊びの中から発生したものでその中で生きてきた自分(芭蕉)にとっては人生は悲惨なものと覚悟しつつ、だからこそたまにある幸福をより喜び感謝したい。

「おくのほそ道」以降の芭蕉の句にはこうした人生への深い諦念が感じられます。苦しい、悲しいと嘆くのは当たり前の事をいっているにすぎない。今さらいっても仕方がない。ならばこの悲惨な人生を微笑をもってそっと受け止めれば、この世界はどう見えてくるだろうか?つまり「かるみ」とは嘆きから笑いへの人生観の転換だったのです。

俳詣はもともと滑稽の道、笑いの道でした。「かるみ」はその滑稽の精神を徹底させることにもなったのでした。その「かるみ」は時代を超え、後世の俳人にも受け継がれていきました。

病の床にあった正岡子規が「悟りといふ事は如仰なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は知何なる場合にも平気でいきて居る事であった」(『病床六尺』)と書いていますが、その平気ということは「かるみ」を子規として表現したものといえるでしょう。

参考文献
長谷川擢「奥の細道」をよむ
この項了
(一峰義紹)

禅寺雑記帳

◆令和最初のお盆を迎えました。日本では六百六年、推古天皇によって日本で初めてお盆の法要が行われたといいます。日本の最初の元号「大化」が645年ですから、それよりも更に古い、とっても歴史のある日本の伝統行事なのです。これからも未来永劫、大事に伝えて行きたいものです。それは今を生きる私たちの役目です。

◆今上天皇陛下は、初代の神武天皇から数えて百二十六代目と宮内庁のホームページに記載があります。神武天皇は紀元前六百六十年のお生まれですから、皇室の歴史は二千七百年近くもあるのです。

◆「神話の話をされても」という意見もあるでしょうが、存在が確実に確認されている代から数えても千五百年以上続いていて、わが国の皇室は世界の王室の中で最も歴史があるのです。誇らしい事です。

◆令和の典拠は『万葉集』からで、史上初めて日本の古典から引用されたという事も大変話題になりました。お陰で万葉集関運の本が売れまくっているそうです。

◆今回元号が変わる事をきっかけに、日本中が同じ方を向いて盛り上がっているように感じます。十月二十二日には「即位礼正殿の儀」が行われます。その日に日本中の各家庭全てが玄関先やベランダに日本国旗「日の丸」を掲げたらどんなに素晴らしい事でしょうか。国旗をお持ちで無い方、是非用意して一緒にお祝いしましょう。

◆今年も「羽村灯篭流し」が、八月三日(士)十八時三十分から宮ノ下運動公園にて行われます。今年で三十七回目となります。大勢の和尚による読経と、鎌倉流御詠歌の皆様の奉詠の中、多摩川に灯篭を流して供養するお盆の伝統行事です。家内安全、交通安全、青少年の健全育成などの祈願もいたします。

◆実行委員会の皆さんはこの日の為に二月から何度もの会合を行い、警察署や消防署、国土交通省、市役所等との協議を重ね、また炎天下での灯篭の販売等に励んで来られました。夕方の行事ですが当日は朝の八時から会場の準備をし、翌日も会場の清掃活動を行います。本当に大勢の協力によって成立する、とっても大変な、そして素晴らしい行事です。せっかくですから是非一人でも多くの方に御参加、御協力を頂きたいと思います。当日参加出来なくても、事前申込みで灯篭を流して供養して頂けます。一基千円です。詳細は各菩提寺にお尋ね下さい。なお雨天の場合は翌四日になります。

(禅林 恭山)