慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第162号 令和3年 秋彼岸号

慧光162号

お彼岸に思う
宗禅 正俊
禅語に学ぶ「ときには捨てる選択を」
禅福 尚玄
禅と共に歩んだ先人~山岡鉄舟~
一峰 義紹
禅寺雑記帳
禅林 恭山

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お彼岸に思う ~コロナと寺といのちと~

季節は巡り、秋のお彼岸となりました。
春と秋の理想的な季を選び取り、日本人は先祖の霊を偲ぶと共に、今、ここにこうしであることのありがたさを感謝し続けてきました。とても大事なことです。

このコロナ禍にあって葬儀も法要も縮小され、家族中心となりました。それでも、葬儀・法要は淡々となされています。お墓参りに来る方はコロナ以前と少しも変わっていません。亡き人を偲び、そのありがたさを思い出し、感謝の気持ちを表すのが、法要の大事な役割です。その機会や時間が失われてしまうことは、非常に因ったことで残念なことです。

今、このコロナ禍の状況で、私たちは何を大切にしたらいいのでしょうか。コロナにまどわされないで、自分の生活を保ち続けていくことです。朝起きて、夜寝るまで、自分のすること、したいことを、ていねいに取り組んでいくことです。自分で自分の生活に手ごたえを感じるような一日を過ごすことです。不平不満はたそのくさんありますが、先ず自分の生活との質を高めていきましょう。老若男女、そのそれぞれ自分の置かれている場で努力をしていきましょう。

お彼岸の七日間は、ふだん忘れがちな先祖のことを思うと共に、仏壇に手を合わせて、自分がこうしてあることに感謝をし、ご先祖や大地自然からいただいた、この自分の命をどう使っていくかを、ふりかえる時間でもあります。仏教では、それを六波羅蜜で示しています。

【六波羅蜜(ろくはらみつ)】
●布施ーーいただいたこの命を、自分のためだけでなく、どうしたら全てのものに対して、おかえしをしていけるか。
●持戒ーー良い習慣を自分の生活の中でどう作り上げてゆくか。
●忍辱(にんにく)ーーたえしのぶ時は、これに耐える努力をする。
●精進ーー日々の生活を大事にする。
●禅定ーー今していることを味わう。
●智慧ーー自分も皆も幸せにするには、どうしたらよいか。
日々の生活を味わい、ふりかえることが未来を作っていきます。
(宗禅 正俊)

~禅語に学ぶ~「ときには捨てる選択を」

今回は、「放下著」(ほうげじゃく)
という禅語を紹介させていただきます。
著は置字なので意味はありません。命令形の「放下」を強めるためのものなので、「投げ捨ててしまえ」と読みます。

この言葉は中国の唐の時代、趙州(じょうしゅう)和尚が厳尊者(ごんそんじゃ)という僧に放った言葉です。

厳尊者が、「何もかも捨て、手ぶらの時はどうしたらよいのでしょうか」と趙州和尚に尋ねられました。そのことに対し、趙州和尚は「放下著」、つまり「捨ててしまえ」と答えたのでした。厳尊者は「何も持っていないのだから、捨てようがない」と返しましたが、趙州和尚は「それなら担いでいけ」と答えました。

これは、厳尊者が何もかも捨てることが出来たと言っていますが、「何も持っていないことに対する執着」が出来ていることを趙州和尚は指摘し、その執着すら捨ててしまいなさいと論したのです。つまり、放下著とは「執着を捨てよ」という意味なのです。

執着には様々なものがございます。例えば「物の執着」。なかなか物が捨てられず、押し入れはパンパンで、部屋のあちらこちらに物が置きっぱなしの状態にしてはいませんか。もし、そのようでしたら、それが物に対する執着です。大切な思い出の物はなかなか捨てづらいと思いますので、まずは不必要だと思った物から手放していきましょう。部屋が片付くにつれ、心もすっきりとするはずです。

次に、「思い込み」や「過度のこだわり」も執着心につながる要因となります。「良い親であるべき」、「良い子であるべき」、「良い大学・会社に入るべき」、「お金や財産は多い方が良い」等々、「こうしなければならない」や「こうあるべき」といった考えを持っている方は多いかと存じます。しかし、その執着心が強いがゆえに、現実とのズレが生じたときに不幸を感じたり、挫折したりしてしまいます。大切なのは、思い込みすぎない、こだわりすぎないことです。そうしたものを一度手放すことで、もっと軽やかに生きることができるのではないでしょうか。

放下著は、「捨てる選択」もあることを教えてくれる言葉です。自分自身をよく見つめ、執着を見つけ出し、思い切って放り投げてみてはいかがでしょうか。捨てた先に本当の自分、新しい道が見えてくるはずです。
(禅福 尚玄)

禅と共に歩んだ先人 山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)7

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、前回に引き続き、幕末より明治にかけて活躍し、現代の日本のあり様にも大きな影響を与えているといえる「山岡鉄舟」についてお話させていただきたいと思います。

浪士組結成
清川八郎の提言をもとに鉄舟は建白書を作りました。「急務三策」とされたその内容は
1、嬢夷の断行
2、大赦の発令
3、天下の英才の教育
といったものでした。これを松平春嶽(しゅんがく)と関白近衛忠煕(このえただひろ)に提出したのでした。

おりから幕府は天誅の横行で浪士の取締りに手を焼いており、さらに関白近衛忠煕より浪士募集の命令もあったので、春嶽は反対の声を抑えて八郎の策を取り入れ、幕議で浪士組結成と大赦を決定しました。

大赦によって無罪となった八郎は浪士組結成の責任者松平忠敏(ただとし)に「有名の英士、尽忠報国の士」として幕府の御用に立つという言い分(ぶん)で奉行所より身を預かるという形で浪士組に入りました。浪士取締役として鉄舟以下「虎尾(こび)の会」のメンバーが多く採用され、正(まさ)に八郎の思惑通りとなったのでした。

集まった浪士は玉石混交、様々な経歴を持つ235名、当初の予定の50人を大きく上回るものでした。その浪士組に与えられた任務は、将軍家茂(いえもち)の上洛の先供警護(せんくけいご)というもので、一同は一路京都へ向け出発したのでした。京都に着いた浪士を新徳寺というお寺に集合させた八郎は、朝廷に提出する予定の上表文を読み上げました。その内容は、将軍家(徳川)が攘夷に背く様な事をすれば身を挺して朝廷を守り、幕府といえども容赦なく譴責(けんせき)するというものでした。八郎の勢いに押されて全員で署名し、それが朝廷に受理され、さらに孝明天皇より攘夷の勅諚(天皇の命令)を賜ったのでした。

将軍家茂を警護すべき浪士組を一転して尊皇懐夷の先兵に変えるという奇術を成し遂げた八郎でしたが、幕府は激怒しました。そこで浪士組に江戸への帰還命令が下ります。勅定をもらった八郎には江戸行きは攘夷決行の為にも渡りに舟といったところでしたが、将軍の上洛を待たずに戻る事が浪士の中で問題になりました。結果、袂を分かつ形で残留組と帰還組に分かれました。この残留組は京都警護の任にあった会津藩あずかりとなり後の新撰組の母体となったのでした。ここで鉄舟は江戸に戻る事になりました。
以下次号
(一峰 義紹)

禅寺雑記帳

◆この夏も激烈な豪雨による災害が多発しました。被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。豪雨は世界中で起こっていますし、異常な高温によって大規模な山火事が世界のあちこちで発生し、広大な森林が失われています。これらの原因が本当に地球温暖化によるものであるならば、早急に真剣な対応をしないと人類の存亡に関わるように思えます。他人事ではありません。

◆アメリカの野球、MLBで、大谷翔平選手が大活躍しています。すぐれた投手でありながら打てばホームランの二刀流、ベープ・ルースの再来ともてはやされています。百年前、まだ人気のなかった当時の野球は、ベープ・ルースという凄い選手が評判となって一気に国民的スポーツとなったそうですが、現在のMLBは他のスポーツやコンテンツに押されて、実は人気が下降気味なのだそうです。しかし大谷選手の評判で、MLB全体の人気が上がっているというのです。日本と違って、1試合しか行われないオールスターゲームにも選出されましたが、MLBは大谷選手の為にわざわざルールを変更して、投手と指名打者の両方での出場を認めました。その言動や人柄も高く称賛されており、同じ日本人としてとても誇らしく思います。

◆大谷選手はゴミを見つけると、試合中であろうと拾ってポケットに入れています。これは花巻東高校野球部の佐々木監督の「ゴミを拾うと運気が上がるから拾いなさい」という指導によるそうですが、彼の成功を見ると効果は抜群です。仏教ではこの行いは「自利自他」(他の役に立つ事が自分の為になる)あたりますが、
これだけ成功してもそれをやり続ける純粋さが何よりも素晴らしいと思います。

◆地球温暖化の防止も、コロナ感染症の抑止も、大谷選手のように目の前の小さな事に気づき、出来ることを実行していく事から始まるように思います。彼は今季、ホームラン王と最優秀投手賞、更にMVPの全てを獲得する可能性があります。彼に力をもらいながら、私達も頑張りましょう。

◆現在『ムーンライト・シヤドウ』という映画が公開されています。吉本ばななさんの原作で、作品の重要な要素として川や橋が登場するのですが、その撮影が羽村の堰下で行われました。予告編でちらっと見るだけでも「あっ羽村だ」というシーンが満載です。原作自休、様々な言語に翻訳されて世界中で読まれている作品ですし、海外の映画祭に出品する可能性もあるとの事なので、羽村の河原が聖地となって世界中からファンが押し寄せる事になるかもしれません。

◆この作品は日の出と昭島の映画館では上映されません。立川では上映されます。
(禅林 恭山)