たぬき和尚通信

2017年8月23日 15:36

第8号 今年の夏を振り返って

今年の夏、平成29年を個人的にふりかえってみる

〇平成29年の今年の夏は、いろんなことを考えさせてくれることがたくさんありました。平成27年の12月11日、建長寺派の宗務総長を退任してから、今年にかけて公のことが一通り終了しました。平成28年3月一杯で、鎌倉学園の理事長も退任しました。この年は宗禅寺が創建されてちょうど400年にあたる年でもありました。24年間(修行時代を含めると30年間)いた建長寺は、『建長寺――そのすべて――』にまとめ、宗禅寺については、『宗禅寺の歩み』としてまとめました。建長寺と宗禅寺の活動が本になって、記録として遺すことができました。そして、今年5月27日、宗禅寺の住職を副住職和正和尚にゆずる晋山式を挙行しました。創建400年と晋山式を記念して、本堂に南の間を増築して、宗禅寺の面目を一新させてもらいました。江戸時代の姿のままの本堂が、400年ぶりにそのお顔を変えました。建長寺も宗禅寺も面目一新です。私は公的には無責任和尚になることができました。今年、丁度71歳です。晴れて自由の身になったことになります。今年の夏は、まさにその自由の身を満喫させてもらうことが出来ました。

冒頭のいろんな事を考える体験をしたこととは次のようなことです。

〇体験の第一は、イスラエルに行ったことです。イエス・キリストの聖地をめぐるピルグリメイジ(巡礼の旅)が出来たこと。第二は長野県松本市にある神宮寺、高橋卓志住職の第20回になる原爆忌を見せていただいたこと。それから、今年の日本の政治のこと。安倍首相が数を頼んで、自分の思い通りに動かそうとして、憲法改正をはかろうとしたことが共謀罪の抜き打ち可決、森友問題、加計学園、自衛隊の日報などのことがあって、支持率があっという間に下落し、おまけに東京都民からノー(NO)をつきつけられ、自民党都議会議員が20人代の第3党に転落してしまったこと。“おごれる者は久しからず。只春の夢の如し”を眼前に見せてもらえました。そして羽村市のとうろう流しが第35回目を迎えたこと。この時の施餓鬼法要の導師も辞めさせていただいて、禅福寺さんがこれから導師をつとめてもらうことになったこと。

〇それでは、それらのことから何が考えられるか。それは、平和のこと、戦争のこと、民族のこと、宗教のことなどなどです。イスラエルに旅行したことは、キリスト教という宗教を現場で直に見てみたい、体験してみたいことがありました。鎌倉で宗教者会議という、仏教・神道・キリスト教の宗教者が同じ土俵に上がって、3.11の追悼復興の法要をし、共に勉強会をし、語り合える場所が出来ました。それを踏まえて、では世界はどうなっているのかを見たくなった訳です。そして、エルサレムという場所で、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教のからみがどうなっているのか。その母胎であるユダヤ民族、アラブ民族、ゲルマン民族のからみ方の現場を見ることによって、ISのことも少しは解るようになるか、と。

 3つの宗教は緊張感を保って併存している。対立をあおり、互いの宗教施設を排除、攻撃するようなことはない。人は人、お前はお前、俺は俺という感じです。但し、これが民族という国家間のことになると、そうはいえない雰囲気があります。それが今、作られつつあるエルサレムの壁です。アラブ民族につながるパレスチナの人々を、エルサレムの中に許可したもの以外は入れない。私たち観光の者は、領土問題の直接的な姿が見れるところなどは、とても近寄れないし、危険であるので、その生々しい現実を知ることは出来ない。エルサレムの神殿の丘で、イスラムの岩のドーム寺院に入る入口で、衝突をさけるために手荷物検査をしているイスラエル兵。そして、そこで事件をおこすためにいるパレスチナの過激派。何かがあれば一触即発の雰囲気が漂っている。現に私たちがイスラエルを離れた次の日に、衝突による死亡事件が起っている。イスラエルとパレスチナ、どっちが悪いという段階ではなく、どっちも生きていくようにしなければ、憎悪の連鎖が起き、最後は大きな衝突がおき、たくさんの人々が亡くなることになる。そんな材料を増やす必要はないだろう。キリスト教にしても、イスラム教にしても、元々はユダヤ教のなかから誕生したもの。どこかに共通点、理解しあえるものが必ずある筈。

〇神宮寺の原爆忌。今年のテーマは、毎年展示している丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」から「幽霊」と「とうろう流し」。そして、「沖縄戦の図」から、読谷村三部作の中の「残波大獅子太鼓」が本堂に展示されました。

 ゲストの話者は、沖縄の鬼といわれる金城実さんです。始まる前に、会衆は丸木夫妻の絵を見ます。そして、高橋住職がNHKの心の時代で最近放映された、金城実さんのCDを流します。彫刻家、金城さんの「漆喰」と「砂」で作った作品が紹介されていきます。4時から始まった金城実さんと高橋住職の対話をみんな興味津々と顔と耳を傾けます。ウィスキーの水割りをしたたかに飲んでいる金城さんは、元気に絶好調です。高橋さんは、沖縄の反戦を語れる人はこの人しかいないと、今年の6月23日に宜野湾にある佐喜眞美術館(丸木夫妻の「沖縄戦の図」が展示されています)に行って、そこに来ていた本人から神宮寺に来ることの承諾をとってあった。金城さんは彫刻によって、沖縄の反戦を表わし続けている。米軍が始めて沖縄に上陸した読谷村の残波岬に、巨大な獅子(シーサー)を、集団自決のあったチビチリガマに「世代をつなぐ平和の像」を製作する。オキナワアイデンティティーを強く持ち、集団自決や基地問題に積極的に発言、行動している人。高橋住職が78歳のお酒の入った金城さんをリードしていくのだが、なかなかそうはいかない。「18歳選挙権をどう思うか」と会場の人につめよる。回答を得るが、最後に「そのあとに何が来るか解るか」と迫る。そして「徴兵制だ」と、わめきちらす。沖縄の人は、内地の人が原爆のことや、空爆のことを戦争と理解しているが、本当の戦争は地上戦で、日本では沖縄や樺太の人しかこれを体験している人はいない。チビチリガマでの集団自決は、自決だけではなく強制死だと、亡くなった80人の中に、多くの12歳以下の子供がいたこと。子供は自決できない。大人や、ことによったら親が殺したということ。そして、長野の松代の大防空壕は東京におられる天皇・皇后陛下がお移りになるためのもので、この壕が完成するまで沖縄で米軍を阻止していろとのこと。沖縄が本土の盾になっていたわけで、このことによって、沖縄の方々がどれだけ亡くなったのか、ということ。沖縄の人が日の丸を掲げない、掲げたくないという気持ちが解った。

 丸木位里、俊夫妻の原爆の図にしても、沖縄戦の図にしても、戦争の真の姿を私たちに示してくれる。表現を通して、直に真実や希望や勇気を示すものである。進行と時間と金城さんの酔いの状況で、対談・話しは高橋住職によってまとめられ、知花昌一さんが、なぜ国体の会場の日ノ丸を降ろして、焼き捨てたこと。金城さんの真情は何かを解説してくれた。そして、図の前に置いてある水盤の中に、「原爆の火」から移したろうそくの火を、一人一人がろうそくに移して、水盤に置く、献灯が行われた。金城実さんは今でも表現することによって、多くの人に戦争や人間の姿を見せてくれている。私たちはこれを見ることによって、多くのことを知り、考え、思うことができる。知るということが、とても大事なこと。神宮寺の高橋住職は、この活動を毎年続けることによって、平和であることの有り難さと、平和を守ることの大変さを説き続けてくれている。良心に基づいて、多くの人が真正面から見ようとしていない大事なことを、しっかり実行していることになる。今まで多忙を理由に来ることができなかったが、やっと来ることができた。その日の最終公演は、沖縄の残波大獅子太鼓の流れを汲む、新垣千里(女性)、金刺凌大、山田ケンタの綾風(AYAKAZI)による太鼓とピアニスト式町範子さんのコンサートで締めくくられた。若い彼等が太鼓の力を使って、生きるための力強さを示し、我々を鼓舞してくれた。そして、最後は会場が太鼓と手踊りによるコラボとなった。綾風は神宮寺の三日間の施餓鬼法要の演技を含め、6回の公演。浅間温泉に泊まっていたので、次の日もゆっくりと原爆の図、沖縄戦の図を見た。原爆で、幽霊の如く生きながら亡くなっていた人たちの霊を、灯籠流しによって供養していこうとすることが良く解った。この羽村市も、とうろう流しの行事があり、今年で35回目をむかえた。8月の第一土曜日にいつもやっていることから、先祖供養、青少年の健全育成、交通事故の撲滅の他に、戦争反対や平和のメッセージも発していったらどうかなと思う。この記事を書き終えた8月22日、不思議な御縁で丸木位里さんの「松竹梅」の屏風の大作が宗禅寺に来ることになりました。8月26日の土曜講座で皆さんに見ていただきました。本堂の廊下一杯に広げられた図は壮観そのもの。平和の大事さを強調していました。

〇ということで、図らずも今年の夏は、民族的対立、戦争による被害者と加害者の関係、人間の心、平和を考えさせられることになった。イスラエル(ユダヤ民族)とアラブ諸国の衝突。これは宗教と民族間の対立による憎悪の連鎖。8月6日の松本・神宮寺の原爆忌は、原爆の図と沖縄戦の展示によって、私たち日本人の戦争に対する見解、平和をどう構築していったらよいのかへの呈示を、個人的には深く考えさせられることになった。

 私たち日本人が、平和というものを、どうとらえているのか。夏になると広島・長崎の被爆体験から、原爆をなくしての平和が毎年叫ばれ続けている。これはこれで、世界的な意味で原爆の悲惨な被害を被らないためには絶対必要なこと。そして東京や大阪や各種の空襲による、大きな不幸。これが日本人一般が受けた戦争の被害と、多くの人が思っているが、もうひとつ、これに沖縄を加えると、戦争のとらえ方は、ガラリと変わってくる。沖縄の図や、金城実さん方の話しを聞いて来ると、こうなる。沖縄は日本で唯一地上戦が行われたこと、地上戦は生身の人間が、顔と顔を合わせ、目と目を合わせて、共に殺し合いをすること。そして沖縄の場合には、これに軍隊だけでなく、沖縄の民間の方々、住民すべて、大人も子供も、男も女も、差別なく、これにまきこまれてしまったこと。戦うにも武器はなく、逃げようにも逃げる場所はなく、現場の中で、たくさんの悲惨な出来事が、繰り返されたということ。これは沖縄の人でなければ、肌を通して実感できないだろう。とても本土や内地の人には、沖縄に何度も行って、話しを聞き、現場を見ることなくしては、理解できないことだろうと思う。簡単に言ってしまえば、日本の内地にいる人々は、沖縄を自分の体験として理解していかない限り、沖縄のことも戦争のことも理解できないのではないかと思う。現在の沖縄の米軍基地のことにしても、あの戦争から始まったこととして考えなければいけないと思う。今の私にはこれしか言えないが、遅まきながら、この事実を具体的に考えるきっかけをいただけたことに感謝の意を表したい。

〇次に日本の平和運動と仏教のことを考えてみたい。キリスト教の場合は、イエス・キリストが張りつけによって殺され、それを復活の形で昇化した。キリストの死から平和を考えている。日本の場合はどうか。素朴に思うのだが、日本の人たちは“平和”ということに敏感そうだが、本当に感覚としてそれを感じたり、思ったりしているのだろうか。比叡山を中心にした“世界宗教者の平和の集い(?)”が毎年開かれているが、私から見ると、単なるセレモニーで、お祭りにしか見えない。只、集まって、共同声明を出して、それで終わり。

 思うのだが、釈迦は自分の国を捨て、人々に苦からの脱出を説いた。日本の仏教は、奈良時代、平安時代と、王法、仏法という形で仏教を受け入れてきている。当初から王法を補完するものとして導入され、成り立っていた。王法という国家が仏教を取り入れ、これを鎮護国家のもと、国の官僚僧として養成されてきていた。この国のための仏教の形が、私たち日本人や、仏教者、宗教者の意識の中にしっかりと植えつけられてしまっている。これは江戸時代に入って、更に国の政策の仕組みの中に、しっかりとはめこまれ、人々を統制することになった。檀家制度は国にとっても、寺院にとってもありがたい形になった。人々を統治的にも、信仰的にも。こうしたことの背景には、日本が国内での武力闘争でおさえられていて、日本の国そのものが滅びるということがなかったからだと思う。

 戦後日本も、アメリカの軍事力の傘のもとで、繁栄してきた。平和憲法のおかげということも出来る。この事はそれでありがたいことなのだが、自分の力で平和を獲得したのではなく、上からふってきた、結果的にそうなった平和だと思う。そうした日本の平和が、どうできたかを考えてみることも、必要。ある一方的な視点からだけではなく、いろんな角度から。

 日本の平和はどういう歴史で、どういう条件で、成り立っているかを勉強しなければいけないと思う。中東で発生したISが世界に広がり、北朝鮮の挑発が進み、トランプの迷走、政治家の挑発に乗らずに、あわてることなく今を見つめていくことが大事、と思う。

 日本の寺や神社や教会も、家の形が変化し、少子化し、地域社会が崩れていく中で、現状を傍観するのではなく、何かを模索して、深く考え実行していく時期に来ている。