宗禅寺ついて



宗禅寺(そうぜんじ)と境内の薬師堂について

 宗禅寺は1615年(元和元年)開創の臨済宗・禅宗の寺院で、山号は創建当初は薬王山、現在は医王山といいます。薬王、医王とも薬師如来のことで、境内にある薬師如来を祀っている薬師堂が山号の由来となります。

 

川崎一本木堂(宗禅寺薬師堂)羽村市指定有形文化財・奥多摩新四国88か所霊場第33番札所 室町年間再建

 

 お寺の山号の由来となっている宗禅寺の薬師堂は、寛政年間(1460~1465)創建、天正年間(1573~1592)再建との伝承があり、その歴史は宗禅寺の成立よりも古いことになります。羽村市内には江戸時代建立までの建造物しかなく、室町年間再建になる宗禅寺の薬師堂は、羽村市内において最も古い建造物であるということになります。

 天正11年(1583)、現在の羽村市川崎・玉川地区は折からの豪雨によって多摩川の未曽有の大洪水に襲われます。この折、10数名が一本の欅の大木に救いを求め身を託して上流から流れて来ましたが、なす術なく濁流に飲み込まれ姿を消してしまいました。洪水が収まると不思議なことにその大木が河岸に漂着しており、犠牲となった方々への供養として、この一本の欅の大木から薬師如来の仏像を彫り、一堂を建立して安置したと伝えられています。一本の大木から建てられたので「一本木堂」とも云われており、元々は市内の旧奥多摩街道沿いの堂坂上(現在の川崎会館周辺)に建立されましたが、地域住民総出の勤労奉仕のお力により約1ヶ月の期間にて、昭和28年4月8日に現在地(宗禅寺境内)にそのまま移築が完了、現在に至っています。また、昭和9年開創の奥多摩新四国88ヶ所霊場の33番札所となっています。

 薬師如来の仏像は明治33年(1900)に盗難にあってしまい、残念ながら創建当初の仏像は行方不明となっています。そんな折の昭和29年(1954)、檀信徒でもあった地元川崎村出身・在住(当時)の彫刻家、島田改助氏が地域の皆様のお声を汲んで下さり、1年半をかけて新しい薬師如来の仏像を制作して下さり、ご奉納下さいました。昭和30年10月1日、新しい薬師様の落慶開眼供養が営まれ、稚児行列などが出されとても盛大な開眼供養法要であったそうです。

 地元地域においてはお寺よりも古くから鎮座し親しまれているお薬師様ですので、こうしたご因縁を大切にし後世に伝えていくため、毎年10月の第1土曜日に境内で薬師如来大祭を催しています。

 

〇宗禅寺(そうぜんじ)について

 

 宗禅寺は川崎村(現、羽村市川崎、玉川、神明台、双葉町など)1村の村民の菩提寺として創建されました。鎌倉の建長寺が本山、あきる野市小和田にある廣徳寺が本寺となります。

 元和元年(1615)、武蔵五日市廣徳寺から玉岫玄球(ぎょくしゅうげんきゅう)和尚(正保四年1647年寂)を開山(初代住職)に迎え、市内の堂坂下に創建されました。多摩川の洪水被害や玉川上水開削工事のため、元禄八年(1695)現在地へ移転しています。創建以来一度も火災にあっていないため、本堂は当時のままの江戸時代の木造建築(一部増築)となっています。

 ご本尊様は釈迦如来坐像で、ご本尊仏像と脇仏の迦葉像、阿難像は羽村市の指定有形文化財となっています。

 戦中から戦後にかけては、地元の農繁期(主に養蚕)には託児所として利用されるなど、地域のお寺として多くの皆様から親しまれてきました。

 現在は坐禅会、写経会、公開講座、春の文化展など定期的に開催しており、お寺は地域文化の発信地となれるように活動しております。また、立春節分の豆まき会、10月第1土曜日の薬師如来大祭も多くの人手でにぎわいます。

 境内には、薬師堂の他、天神様などをまつる三社堂、悪病退散地蔵、馬頭観音石塔、庚申塚、経塚、芭蕉句碑などがあります。また様々な種類の桜の木が植えてあり、春は華やかな境内となります。