慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第152号 平成31年 春彼岸号

慧光152号

「平」和は「成」ったのか
禅福 泰文
白隠禅師坐禅和讃を読んでみる
宗禅寺 高井和正
禅と共に歩んだ先人
一峰 義紹
禅寺雑記帳
禅林 恭山

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「平」和は「成」ったのか

平成という時代が終わろうとしています。
中国の古典「史記」から、平成という元号を引いて三十年。時の政府は「平らになる」「平和になる」という文字に願いを込めて、平成という元号を採用しました。それから三十年、果たして額面通りに平和はやってきたのでしょうか。
平成はその前の昭和に比べて、少しはマシな時代だったのでしょうか。

誰れでも平和に暮らしたい、平穏な日常を送りたいと思っています。戦争や災害のない世界であって欲しいと思っています。それでは例えば、隣の家の子は東大に合格し、自分の子は引き込もり、隣は家を新築し、自分は失業して家を売り払わざるを得ないとします。それでもあなたは心の平和を保てますか。この世の不条理、理不尽さに、腹を立てませんか。人は人、自分は自分と割り切って、他人の幸せを祝福することができますか。少しでも嫉妬心がある限り、心の平和はやってきません。家庭の平和も世界の平和も同じことです。世界の平和を叫ぶより、心の平和を保つことの方が難しいのです。

心の平和の大切さを伝えるため、近年日本からも鈴木大拙をはじめ、多くの仏教者が海を渡りました。異教徒に仏陀の教えを説き、仏教信者もできました。しかしながら、いまだ世界は平和とは言えません。独善的な無神論者や一神教の狂信者が、手前勝手な論理で、この地球を牛耳ろうとしているからです。慈悲心のない損得勘定だけの独裁者ほど、危険なものはありません。

日本も偉そうなことは言えません。子どもを虐待する親、善人をだます詐欺師、イジメに犯奔する若者、責任を取らない人、利益至上主義の企業。これらは平成の三十年に目立ってきたことです。仏陀が一切の苦の根源だと説いた自己愛の為せる姿です。

戦争のない状態が平和なのではなく、他の幸福を願う「菩薩として生きる」人々が地上に溢れた時、本当の平和がやってくるのだと思います。まだまだ時間がかかりそうです。
(禅福 泰文)

白隠禅師坐禅和讃を読んでみる その15

この時何をかもとむべき
寂滅現前するゆえに
当処すなわち蓮華国
この身すなわち仏なり
(白隠禅師坐禅和讃より抜粋)

◆意訳
「この上何を求めるのか。悟りの世界はすでに皆の自の前に広がっている。自分のいる場所が極楽なのであり、自分自身そのものが仏ではないか。」

寂滅(じゃくめつ)
死ぬことを寂滅とも言いますが、ここでは涅槃、仏教の目指す悟りの世界のこ
とを指しています。

禅の涅槃(悟り)とは
仏教や禅における涅槃、つまり悟りの境地とは一体どういう世界なのでしょうか。悟りを開く。何か言葉では言い表わすことができない不思議な力が自分自身に舞い降りて来るのか。空中浮遊できるようになるのか。百五十歳まで元気でいられるのか。未来を予知できるようになるのか。残念ながら禅の悟りというものは、そういった類いの非現実的な不思議な力を得るというものでないのです。仏教や禅の教えというのは、ある意味では非常に現実的なものです。

悟りと覚り
悟りは覚りとも書きます。つまり「目覚め」のことです。目覚めるということは、自分を取り囲んでいる世界が変わるということではありません。自分の身に起こったある経験を境にして、今迄の自分では見ることができなかったことが見えるようになる。あるいは感じることができなかった部分を感じれるようになるということです。例えるなら、重病を患った人が奇跡の復活を果たしてみると、毎年当たり前のように見ていた桜の花の美しさ、毎日顔を合わせていた家族の存在の尊さ、自分自身がしっかりと生きていることの素晴らしさに気づく(目覚める)ということでしょうか。

日常の中の好時節
禅の世界に「春に花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり、もし閑事の心頭にかかるなくんば、すなわち是れ人間の好時節」という言葉があります。あれやこれやとつまらぬ事を心に煩うことがなければ、春夏秋冬、季節を選ばず、年中が人間にとって好い季節である。という意味の言葉です。我々が社会の中で生きていく以上は、いくらかの不案や心配事がつきまとうこともあるでしょう。しかしながら、春の麗らかな陽気に出会ったり、ご家族皆様で過ごす時聞があったり、仲の良い友人たちと過ごす甘美な時聞があることも確かです。日常の中の素晴らしき時間をしみじみと味わうことができるのであれば、そここそが涅槃なのです。
(宗禅寺 高井和正)

禅と共に歩んだ先人 松尾芭蕉 第十二話

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、前回に引き続き江戸時代前期に生き、日本の俳諧(俳句)を芸術的域にまで高め大成させた「俳聖」とも呼ばれる「松尾芭蕉」についてお話させていただきたいと思います。

「おくのほそ道」5
芭蕉の残した紀行文の中でも、最も著仰なものといえるのが、この「おくのほそ道」です。前回までこの作中の句を観ていきながら、その作風の変化をお話してきました。

旅の始めにあたり詠まれた句と、最後の句はどちらも「別れ」を題材としたものです。そこには大きな作風の違いがありました(前回参照)。この旅を通じて、芭蕉にどういった心境の変化があったのでしょうか?

以前「蕉風(しょうふう)」(芭蕉の作風)において「不易流行(ふえきりゅうこう)」という重要な価値感があるとお話しました(松尾芭蕉医9)。「不易」とは永遠不変の事。「流行」とは変わりゆく事です。我々は変わりゆくものの中で生きていますが、視点を大きくもてば、変わりゆく事実そのものが日常であり不変なのだという価値観です。宇宙的視点ともいえる壮大なスケールを持つ句を出羽(山形)から越後(新潟)の旅において残していて、それを我々に伝えています。

うってかわって、その後の旅では「別れ」がテーマとなったかの様に多くの別れを芭蕉は体験し、句に詠んでいきます。では「不易流行」はやめてしまったのでしょうか?そうではなく、宇宙的視点から人間を、自分自身を観て、句を詠んでいるのだと考えます。人生において「別れ」はつきものです。旅においては毎日が「別れ」の連続でしょう。この「おくのほそ道」に「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也」という序文を残した芭蕉も「人生=別れ」という思いを強く持っていたのだと思います。その「別れ」をことさら嘆き悲しむのではなく、「これもまた人生」という風にとらえ、受け入れていく。これが芭蕉のこの旅においてたどり着いた「かるみ」という境地なのです。それがこの旅の最初の句と最後の句にあらわされているのです。

ここで唐の詩人干武陵(うぶりょう)の詩と、井伏鱒ニ(いぶせますじ)の訳を紹介します。(後半のみ)

花発多風雨 花発(はなひら)けば風雨多し
人生足別離 人生 別離足(べつりた)る

ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
以下次号(一峰 義紹)

禅寺雑記帳

◆私たちの宗派、臨済宗の僧侶がボランティアで運営する『吉縁会』という組織があります。いわゆる婚活を支援するも入会金や年会費、成婚費用などはので、一切掛かりません。これまでに一万八千人以上の会員がいて、八百組以上の結婚が成立しているそうです。

◆会の当日は、和菓子作り、坐禅、精進料理つくり、数珠作りなど毎回異なる体験を皆で行った後、異性の参加者と五分ずつの談話をしていく、という流れになっていて、この実費(三千円程度) のみが自己負担になります。

◆参加にはまず登録が必要です。登録の資格は、二十五歳から四十五歳までの男女で、インターネット、メールが使える事が条件になります。パソコンが無くてもスマートフォンが使えれば問題ありません。会からの連絡もすべてネットを介して行われ、郵便物が送られることはありません。

◆登録は指定された日時に、本人自身が指定のお寺へ行って担当の僧と会わなければならず、代理人では受け付けられません。また事前登録をネットで行う必要があります。ボランティアなのでいつでも行っている訳ではありません。事前登録は、先着順で締め切られます。一度登録すれば、日本の各地で開催される会への参加が可能になります。

◆次回東京地区の登録日は三月三十一日、事前のネットでの予約締切は三月二十九日となっています。興味のある方は『吉縁会』で検索してホlムベlジで詳細を確認下さい。すべてはそこに掲載されています。それを理解出来る事も参加資格の筈です。まずは一歩を踏み出してみましょう。
(禅林恭山)