医王いろいろ閑話



医王いろいろ閑話

2021年3月16日 15:32

【土曜講座講演録】                                     『一本木薬師堂の薬師如来像』       清泉女子大学名誉教授 山本 勉 先生

 はやいもので、もうずいぶん前のことになってしまいましたが、2019年9月14日に「宗禅寺土曜講座」で「仏像の話―薬師如来・運慶―」と題してお話をさせていただきました。文字通り、仏像全般のお話をして、なかでも宗禅寺薬師堂にちなんで、薬師如来という仏像についてくわしくお話し、そのうえで、わたくしが長年研究対象としている、鎌倉時代の仏師・運慶(?~1223)についても触れました。お話を準備をしているうちに、思いがけず宗禅寺薬師堂の本尊薬師如来像と運慶とが、決して無関係でないことがわかったのは、とても興味深いことでした。今回、閑栖和尚高井正俊様から、当日のお話を原稿にするようにとお求めいただきましたので、薬師堂の薬師如来像の話にしぼって書かせていただきます。

【 薬 師 如 来 像 】

 仏像の中で「如来」が一番だいじな存在であるとことは、皆様よくご存じのことと思います。「如来」とは「悟りをひらいた」存在であると、よく説明されます。古代インドで仏教を創始したゴータマ・シッダールタは修行をして、悟りをひらき、最初の如来となりました。彼が釈迦一族の王子であったのにちなんで、それを「釈迦如来」といいます。釈迦如来に続いて「薬師如来」「阿弥陀如来」「弥勒如来」などなど、たくさんの如来が考え出されます。これらは釈迦如来のように実在した人物が如来になったわけではありません。お話、つまりお経のなかで考え出された存在です。

 薬師如来は『薬師経』というお経で考え出された如来です。修行者であった時代(菩薩の時代)に、世の人びとを救うために12の大願を立てますが、その中の第7願に「除病安楽」というのがあります。病をのぞいて安楽ならしめる。申し上げるまでもなく、感染症禍に苦しむ現代にも、もっとも求められる願いでありますが、薬師如来はそれをかなえてくれる現世利益のほとけとして、昔から大変人気があります。

【 宗 禅 寺 薬 師 堂 】

 いま宗禅寺境内にある薬師堂(羽村市指定有形文化財)は、もともと少し離れた多摩川に近い段丘の上にあったそうですが、寺伝によれば、安土桃山時代、天正11年(1583)に多摩川の流木一本をもって薬師如来像を造り、堂を再建したとのことで、それで一本木堂というのだというのです。たしかなことはわかりませんが、再建というのだから、それ以前のお堂があり、そのお堂にはもっと古い本尊がまつられていたのかもしれません。

 江戸時代の終わり頃、文政13年(1830)に完成した『新編武蔵風土記稿』という記録では、その当時の薬師堂には「木ノ坐像長七寸許」、つまり木でできた高さ二〇センチばかりの薬師如来坐像があったといいます。ずいぶん小さな像だったのですね。しかし、この像は明治33年(1900)に盗難にあってしまったそうです。

 そのあとお堂だけが残っていたようですが、そのお堂も年々破壊が進み、戦後には堂の柱が残るのみという状態でした。そこでお寺の境内に移転し、改築することが計画され、昭和28年(1953)に落成しました。本尊薬師如来像は、翌年から地元に住んでいた彫刻家、島田改助が新しく製作して、昭和30年完成。同年10月1日に開眼落慶法要が行われました。これが現在の薬師堂と本尊薬師如来坐像です。

【 宗 禅 寺 像 と あ き る 野 市 新 開 院 像 】

 ここまで、わたしは『宗禅寺の歩み』(2017年、宗禅寺)などで、薬師堂と薬師如来像のことを勉強してきたのですが、この本に載っている薬師如来像の写真を見て、少々びっくりしました。それは、この薬師如来像の形が、わたしがだいぶ前に調査したこのある、あきる野市・新開院の薬師如来像の形とよく似ていたからです。

 新開院の薬師如来像といっても、ご存じの方はほとんどいらっしゃらないでしょう。でも、この新開院像は仏像史の研究の中で、なかなか重要な作品ではないかとわたしは思っています。この像は両脇侍像(日光・月光菩薩)、眷属十二神将像とともに、もともとは鎌倉市の鶴岡八幡宮薬師堂にまつられていたものです。鶴岡八幡宮は江戸時代以前は、「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれ、神社とお寺が一体化したものでしたから、境内にはたくさん仏像をまつるお堂もあったのです。それが明治初めの神仏分離によって、お堂も仏像も八幡宮境内から追い出されてしまいました。新開院の仏像もその一例です。途中で修理が行われていることもあって、仏像史上の正しい位置はまだ十分に検討されていませんが、わたしは鎌倉時代、十三世紀前半の製作ではないかと思っています。作者についても、これから研究が必要ですが、鎌倉時代の初めに鎌倉でも活躍した仏師、運慶の系統につながる仏師の作である可能性があります。これらの問題は、今後も研究したいと思っています。

 この新開院薬師如来像の衣の着け方や、衣文(衣のひだ)の形と、宗禅寺薬師堂の薬師如来像のそれらが、とてもよく似ているのです。仏像をみなれていない方にはわかりにくいかもしれませんが、日頃たくさんの仏像をみて、仏像どうしを比較しているわたしたち仏像研究者にはすぐわかります。薬師堂の薬師如来像を昭和三十年に新作した島田改助が、新開院像をモデルにしたことはまちがいありません。

 島田はどうして新開院像を知っていたのか、そしてどうしてモデルにしようと思ったのか、それらはわかりませんが、ともあれ、かねてから新開院像に注目していたわたしは、たいへんおどろいたしだいです。こうして薬師如来のお話と運慶のお話はつながることになったのです。

【 お わ り に 】

 仏像の形や仏像のある場所は、過去の仏像の力を現代につなげる力をもっているはずです。宗禅寺境内の薬師堂の薬師如来像は一本木薬師堂薬師如来像の力を伝えるだけでなく、かつての鶴岡八幡宮寺薬師堂薬師如来像の力も合わせて伝えているはずです。そのお薬師さまに、現在の世界を重苦しくおおっている感染症禍の暗い雲を吹き払ってくれるよう、祈念したいと思います。