慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第155号 令和2年 正月号

慧光155号

お正月-神と仏と-
宗禅寺 高井和正
受け継いでいくもの
禅福寺 尚玄
禅と共に歩んだ先人
一峰 義紹
禅寺雑記帳
禅林 恭山

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お正月-神と仏と-

令和二年の新しい年が明けました。本年もよろしくお願いいたします。

以前、檀信徒の方から「お正月にはお墓参りをするものなのですか?という、ご質問をいただいたことがあります。歳神様をお迎えするお正月に、お墓参りは縁起が悪いというイメージもあるようでこういったご質問になったのだろうと思われます。

吉田兼好(兼好法師)書いたとされる鎌倉時代末期の『徒然草』につぎのような文章があります。

「月寵(つごも)りの夜、亡き人の来る夜とて魂祭(たままつ)るわざは、この頃、都にはなきを、東(あづま)のかたには、なほすることにてありしこそ、あはれなりしか」、

「大晦日、帰ってくる亡き人の御霊(みたま)をお祭りする習わしが都ではなくなってしまったが「関東ではいまだ行われていることに深い感銘を覚えた」。

古き時代は月の満ち欠けにて暦を判断していました。(太陰暦)、月龍りというのは、月が新月に一番近い月末を示している言葉になるようです。

「亡き人が帰ってくる」、どこかで聞いたことがある表現です。そう、夏のお盆(孟蘭盆)です。ご先祖様がご自宅に帰って来られると云われているお盆、迎え火を焚いてお迎えし、盆踊りでお見送りをするあのお盆です、実は、かつての日本ではご先祖様が帰ってこられるのはお盆だけではなく、お正月にも帰ってくると云われており、仏教が日本に来る前から、そのような習慣があったようです。長い年月を経るうちに、正月は歳神様をお迎えするから神社、お盆はご先祖様をお迎えするからお寺と、役割が分担されたということでしょうか。

神社の神様はその土地の鎮守様であり、我々が普段生活している土地をお守りし、自然(大地)の恵みである水や食べ物(穀物、野菜、魚)など、生活に欠かせないものを我々に与えて下さる存在と言えます。

お寺はその土地に生きてきたご先祖様をお守りしています。我々の命はご両親、ご先祖様からの授かりものだということです。

土地を護る神様とご先祖様を護る仏様、長い歴史の中で我々日本人自身が神仏両方に敬意を払ってきて下さったことによって、どちらも大事な日本の伝統となりました。

ご家族揃って地元の神社で旧年中にいただいた自然の恵みを感謝し、お寺でご先祖様に無事に新年を迎えたことをご報告する、土地と人に感謝して新年が始まります。
(宗禅寺 高井和正)

受け継いでいくもの

皆様明けましておめでとうございます。
この度、禅福寺の副住職としてお迎え頂きました田島尚玄(たじましょうげん)と申します。

簡単ではございますが、自己紹介させて頂きます。私は青梅市千ケ瀬町にございます臨済宗建長寺派宗建寺の次男として生を受けました。修行に行く前は、一般の大学で心理学を学び、同大学院法心理学科に進学し犯罪心理学等を学んでおりました。住職の父と副住職の兄の姿に影響をうけ、大学院卒業後、鎌倉にあります大本山建長寺専門道場に掛塔致しました。建長寺での修行を終え、宗建寺の兼務寺である緊徳院の副住職に就任し、昨年まで勤めておりました。そしてこの度、素晴らしいご縁を頂き、昨年十月に禅福寺のご息女であります田島弘恵(たじまひろえ)さんと結婚し、禅福寺の副住職となりました。令和元年という日本の新たな時代の幕開けの年に、禅福寺という新たな地でスタートを切ることに、言葉では言い表せないほどの感謝と縁を感じております。

禅福寺でございますが、あと二年後の令和四年になりますと、創建650年の大きな節目を迎えます。650年、とてつもなく長い年月ですね。その間、開山無二法一和尚様から代々受け継ぎ、禅福寺という寺を守ってきたということになります。

お寺でなくとも、私たちはご先祖様から命を代々受け継いでおります。両親は二人、祖父母は四人、曽祖父母は八人と遡ってまいりますと、十代目まで合わせると二千四十六人ものご先祖さまが存在する、という話を聞いた方もいらっしゃると存じます。この中の一人が欠けてしまうと、今の自分は存在しないことになります。今生きていること、これはとても尊いことなのです。お墓参りをする際は是非、顔が分からなくとも今まで代々続いてきたご先祖様に思いを馳せ、手を会わせてみてはいかがでしょうか。これからも、この命の尊さを語り継いでいきたいものですね。

私も禅福寺副住職として、現住職であります泰文和尚と共に、また、田島家一丸となって禅福寺を守っていく所存でこざいます。羽村寺院の一員となり早数ヶ月、まだまだ未熟者ではございますが、これからも何卒よろしくお願い申し上げます。
(禅福寺 尚玄)

禅と共に歩んだ先人 山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、今回より幕末から明治にかけて活躍し、現代の日本のあり様にも大きな影響を与えているといえる「山岡鉄舟」についてお話させていただきたいと思います。

マルチな才人
さて、山岡鉄舟という人を説明するとして、あまりに多くの面が存在していたという事実に驚かされます。

幕末には有能な旗本として幕府を支え維新後もまた、新生日本の礎の構築に尽力しました。剣の達人として知られ、多くの門人に菓われました。達筆としても高名で多くの書が残されています。さらに臨済禅の求道者として優れた境涯を得て、ついには自らの禅寺を建て、後進の育成にはげみました。全くその豊かな才能には驚異と共に感心させられます。

生い立ち
山岡鉄舟(天保七年、西暦1836年~明治二十一年、西暦1888年)は江戸本所(現在の墨田区)に蔵奉行(くらぶぎょう)、小野朝右衛円高福の第五子として生まれました。母、塚原磯(つかはらいそ)は剣豪とて名高い塚原ト伝(ぼくでん)を先祖に持つ家系の出身でした。

九歳より久須美閑適斎(くすみかんてきさい)より新陰流しんかげりゅう(直心影流じきしんかげりゅう)剣道を学びます。しかしすぐに飛騨郡代に任じられた父と共に飛騨高山に転居し、そこで七年間を過ごします。高山では弘法大師流入木道(じゅぼくどう)五十一世という書家、岩佐一亭に書を学び十五歳で五十二世を受け継ぎ「一楽斎」と号しました。また、父が招いた井上清虎より北辰一刀流剣術を学びました。

父の死に伴い江戸へ戻った鉄舟は、井上清虎の授助により十九歳の頃「講武所」に入り、千葉周作らに剣術、山岡静山に忍心流槍術(にんしんりゅうそうじゅつ)を学びます。

静山が急死し、静山の実弟健三郎(高橋泥舟たかはしでいしゅう)らに望まれて、静山の妹、英子(ふさこ)と結婚し山岡家の婿養子となります。

講武所に入って翌年には、剣道の技倆抜群により、講武所の世話役に抜擢されました。

また生前に父から勧められていた事もあり、十七歳の頃から禅の修行を始めます。長徳寺願翁、龍澤寺星定、相国寺独園、天龍寺滴水、円覚寺渋川と名だたる師家(老師)に参禅し、その境涯を大いに高め、後に滴水和尚より印可(悟りの証明)を与えられるに至ったのでした。
以下次号
(一峰 義紹)

禅寺雑記帳

◆令和最初のお正月を迎えました。羽村臨済会を本年もどうぞよろしく御願いいたします。

◆昨年は台風や豪雨で、各地に甚大な被害がありました。被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

◆台風十九号の時には東京都内にも避難勧告が出され、羽村市でも四百三十八世帯、千百人以上が小中学校などの避難所へ身を寄せました。羽村では河川の氾濫は起こりませんでしたが、堤防のすぐ下まで水は来ていましたから、もう少し雨が降り続いたらどうなっていたかわかりません。堰下の大きな堤防はまるごと流されて無くなりましたし、灯篭流しを行う宮ノ下グランドも土が流されてしまってひどい状態です。川の形もすっかり変わってしまいました。「何十年に一度」の災害が毎年のように続いています。どうか今年は穏やかな一年でありますように。

◆即位礼正殿の儀をはじめ、天皇陛下の一連の御即位に関する行事が無事に円成しました。日本という国の歴史の奥深さ、素晴らしさをあらためて教えて頂いた気がします。令和という時代が穏やかで、良い時代でありますように。

◆昨年のラグビーワールドカップ日本大会には大きな感動を頂きました。日本代表チlムはメンバー三十一人のえち、外国人選手が十五人も入っていましたが、試合前の国歌斉唱では全員が君が代を歌っていました。本当に日本の代表として、ワンチーム、一丸となって戦い、誰もが勝てないと思っていたずっと格上の相手を倒して、ベストエイト入りを果たしたのです。鍛練次第で人は不可能を可能に出来ること、あきらめないで目標に向かうことの大事さ、ラグビーという競技自体の面白さ、ノーサイドの清々しさなど、沢山のことを教えて頂きました。

◆そして今年はいよいよ東京オリンピック、パラリンピックが開催されます。折角の機会ですから、何かの競技を会場で応援出来たらと思いますが、私は今のところ抽選が全て外れています。結局テレビでの応援になりそうですが、それでも精一杯応援したいものです。

◆聖火リレーは早くも三月二十六日から福島県で始まり、日本全国を回るそうです。東京では七月十日から全六十三の市町村でリレーが行われ、羽村は七月十三日の朝に予定されています。お盆中ですが、雰囲気だけでも味わいたいと思います。

◆羽村臨済会の四件のお寺の一つ、禅福寺に新しく尚彦和尚様が副住職として入られました。二面に御本人の原稿が掲載されていますので是非お読みください。末永いお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。
(禅林 恭山)