たぬき和尚通信

2017年8月23日 15:38

第9号 イスラエル巡礼

狸和尚のイスラエル巡礼記

【出発まで】

 7月5日から13日まで9日間、ピルグリメイジ(聖地巡礼)の旅でイスラエルに行ってきました。宗教体験の旅でもありました。貴重な体験をまとめてみました。

 鎌倉のカトリック雪の下教会の山口道孝神父から、イスラエルに行きませんかのお声をかけられた。今年に入ってからのことだったが、日程が7月5日~13日ということで、お盆のこともあって少し不安だったが、自分の体調の事も考えると、今行かないといけないと思った。幸いなことに、和正和尚の晋山式も5月27日に終わるので、思い切って参加させてもらうことになりました。

 今回の旅は山口道孝神父主宰の第4回目のもので、メンバーは9人でした。教会関係者が6人、それ以外は私も含めて3人でした。

【7月5日:テルアビブからティベリアへ】

 出発日の7月5日、夜7時25分に8人のメンバーが成田空港に集まり、9時25分のターキッシュ・エアラインでまずトルコのイスタンブールへ12時間の飛行。夜の闇の中を成田からイスタンブール。アジアの東端から西端へまさにひとっ飛び。何か変な感慨がありました。

真夜中4時にイスタンブールに到着。この時間は流石に人も少なく、静かです。トランジット2時間、空港の店を見て回り、1万円をイスラエル通貨シェケルに、5千円をドルに換金。ビールとナッツで2ドル。1人でビールを飲みながら、これからの旅程の確認。メンバーの顔と名前の確認。男性は山口神父の他に、40代の平野創さん。あとは女性で、私がお誘いした高橋章子さんはテルアビブで合流とのこと。

【7月6日】

再びイスタンブール空港からターキッシュ・エアラインでテルアビブ空港へ。所要2時間。空港着朝の8時45分、ダビデの星が我々を迎えてくれる。ユダヤ、そしてナチスの迫害を思い起こす、私にとっては不気味なマークである。

 入国審査は実に丁寧で厳格。たっぷり時間がかかり、少しドキドキ。幸いなことに山口神父のはからいで、私たち3人グループですっと入国。ピルグリメイジ(聖地巡礼の旅)で来ました、という必要もなかった。しかし、女性の管理官の眼の鋭さが印象に残る。

入国したのは10時。移動は専用バスが用意されていて、ベンツ製でしっかりしたバスでホッとしました。荷物を持ち歩く心配もなくなる。テルアビブの旧市街のオールドホステルに高橋さんを迎えに行く。山口神父の判断力と行動力の確かさに感服。無事に高橋さんを拾って、巡礼の旅が始まる。

今回の私の旅の目的は、キリスト教を現地でまるごと体験したいということ。どれだけキリストやキリスト教の中に入っていけるか実に楽しみ。

【ヤッフォ】

 ヤッフォの聖ペテロ教会を訪れる。明るい日差しから教会の中へ。暗くて眼が悪いせいもあって、なかなか歩けない。高橋さんが誘導してくれて何とも有り難かった。中に入ると、山口神父の主導でミサ。私はとりあえず、ミサや教会の様子を見る。およそ40分か。ミサの終わりにキリストの聖体を象徴するパンをいただき、ワインを飲むならわしがある。ワインとパン、聖体拝授。私はキリスト教徒ではないので、聖体のパンはいただけず、白ワインのみを神父さんの介添えで皆と一緒にまわし飲みした。聖体拝授は神道の供え物、神様に捧げたものをおさげして、神様と共にいただくということ。日本の神道の作法(なおらい)と似ていると直覚。ワインのまわし飲み、ふきんのさばき方なども実にキチンとしている。夜の食事会で、千利休もキリスト教の洗礼を受けていて、キリスト教の作法が、お茶の中に取り入れられているとの説明に、変に納得した。大阪の堺には当時、神父さんがいて、茶にも深く関わっていたであろうことから。

 次に、すぐ隣の皮なめし職人シモンの家へ。眼を気をつけながら用心して石畳を歩く。これは旅行中同じ思い。シモンの家は地中海を見下ろす処にある。ヨーロッパやアラブ、十字軍、いろんな事象が交錯している処であると実感。地中海の展望台からテルアビブの現代的なビルの立ち並ぶさまを見る。同行している西郷通訳さんの内容のある的確な説明を安心して聞いた。エルサレムは京都、テルアビブは大阪の例え。古典的と世俗的、老人と若者の例え。テルアビブは信心の薄い所。

【カイザリア】

 カイザリア着。カイザリア国立公園で競技場見学の後、ヘロデ王時代の劇場、競技場、そして地中海を望むカフェで昼食。ビールは10ドルで空港での値段のほぼ10倍。但し、冷房がきいた快適な処。まあ仕方ない。地中海がこんなそばにあることに変に感動。そしてローマ時代の導水橋はなんとも古ぼけた土のレンガ製のもの。カナではひどい渋滞、明日はユダヤ教の安息日の金曜日で、労働はしない日なので、皆帰宅を急いでいるとのこと。バスの中で夕刻、一日の終わりの祈り。食事は自分で祈りを捧げておとり下さいとのこと。ティベリアのレオナルド・プラザホテルへ。イスラエルで初めてのホテル体験。行き先階の数字を押して、出たアルファベット番号のエレベーターに乗る。地中海やプールの見える546号室。高橋さんが、プールとガラリヤ湖の写真を撮りに部屋に来られたほど見事な景色。8時に夕食。みんなで和気あいあい、飲み物はビールもワインもジュースもすべて自分でコックを押していれる。食事も飲み物も人もうまい。ビール、6杯飲む。食事をしながらの皆さんとの会話が実に楽しい。ユダヤ教の事、ユダヤ教の行者(黒服をまとっている人が多い)は、仕事もしなくていい、兵役に行かなくてもいい、お金をもらえる(生活費)にはびっくり。選ばれた者、選民だからということらしいが、私にはピンとこない。輪廻のこと、修道院、遠藤周作の沈黙の映画のこと、西郷さんがユダヤ人の奥様と結婚するためにユダヤ教徒になった話し……。部屋に戻り荷物の整理をしていると、気持が安らいでくる。部屋にパジャマなし。歯ブラシもひげそりもない。石鹸とシャンプー、タオルがあるだけ。湯沸かし器があって、コーヒーを淹れることができてホッとした。

【7月7日:ティベリア】

 山口神父と行くピルグリメイジ4日目、8日の朝。夜2時半に目覚め、そのまま起きる。いつものように剃髪、コーヒーを淹れる。荷物やパンフレット、旅行案内、昨日の行程の整理などをして、4時40分に昨日、7日の訪問日記を書き出す。部屋の電燈は暗いので、洗面所の洗面台を使って、明るく気持ちよく書いている。昨晩は山口神父の部屋を9時に訪問。柴田さん、高橋さん、西郷さんとワインを飲み、話しを聞きながらうつらうつら寝てしまう。

 さて、7日の朝に話しを戻す。レストランで野菜などの沢山あるバイキングをこっそりビールをコックからついで、一杯やりながらゆっくり食事。朝は気持がよい。8時出発。レオナルドプラザホテルから、歩いて船着き場へ。6、7分か。古代を模した舟に乗って、といっても結構大きい。50、60人は楽に乗れそう。ガリラヤ湖を舟で、キブツに向かう。舟は私たちの貸切でのんびりと風景を楽しむ。舟中、山口神父の導きで祈り。西郷ガイドの名調子の説明を安心してタップリ聞く。このガリラヤ湖周辺が、イエスキリスト若かりし頃、ユダヤ教を学びながら自らの伝道の地であったことがよく分かる。この地での伝道、ペテロやマグダラのマリア、ユダヤ教の聖地でもあったなどのことが、おぼろげながら浮かんでくる。キリスト教やユダヤ教のことなど解らない私にも、こうして現地に来て、現場で教会や遺跡を見て説明を聞いていると、ガリラヤ湖畔がイエスキリストにとって、とても大事な実践の修行・布教の場であったことが、なんとなく解ってくる。やはり現地、現場は大事。

船中でガリラヤ湖の石で作ったキリスト教のペンダントを買う。湖は淡水でヨルダン川の水がたまったもの。大きさは琵琶湖の3分の1とのこと。今、通常の水位より渇水で2m以上下がっているとのこと。30分の船旅でついた処は、イエス時代の舟が発見され展示されているイーガル・アローン博物館をゆっくり見学をして、ペテロ首位権の教会の屋外会堂でミサ。讃美歌の練習、山口神父の主導でミサ。

ミサは司祭と会衆による共同作業によって祈りが成立し、神を媒介にして、その教えに従って行動することを確認する作業と私には見えた。白ワインのまわし飲みは、茶道のお濃い茶の作法と全く同じ。その前の、パン(聖体の象徴)は同じ日本人であっても、洗礼を受けていない異教徒には食べることができない。木々に囲まれた屋外の会堂は明るく、風も吹いていて気持ちがよい。イエス・キリストの聖地をたどるピルグリメイジは仏教の巡拝と同じ。仏教もその場その場でお経を読み、回向をし、祈りを捧げる。ペテロ首位権の教会の中に入って各自拜礼。イエスが弟子たちに食事を与えた食卓の岩(メンザ・クリスティ)が祭壇になっている。教会の内部構造は気持ちが奥へ奥へ入っていけるようになっていて、とても安心感がある。皆さんめいめいで記念写真。聖堂の中は静寂を保っていれば行動は自由。そして湖岸に出る。

 メキシコの巡礼団がみんな大喜びしている。誕生日の女性がいて祝福を受けている。“ハッピーバースデー”。いつのまにか私たちの団とにぎやかな交流が始まって、記念写真。メヒコメヒコ、ヤポンヤポンの大合唱。キリスト教を信じる者たちが、国を越えてお互いに兄弟・姉妹であることを共に確かめていることを実感。そして、信仰をもつ喜びと広がりに大納得。次は、マグダラのマリアのお墓参り。小さな石造りの部屋。イスラムの祈りもここで行われているとのこと。

昼食はマグダルアレストラン。超一流の建物と料理と接待。ビールを飲むがおいしくない。セントピータースフィッシュ(聖ペトロの魚)ひときれ、美味。鳥の薄切りと、もう一品。メインディッシュを少しずつ食べる。皆美味しい。運転手のハニーさんもイスラエルでもここは美味しいと絶賛。

たっぷりの昼食のあと、何もない高原の中のユダヤ教のシナーゴーグ(教会堂)の遺跡見学。小さいものだが、現地で採石された黒っぽい石造りの聖堂はローマを思わせる素朴で小規模な建物。オリーブオイルを搾る石臼。イエスがここで学んでいたことが偲ばれて嬉しい。それでも釈迦は2500年前の人。イエスより500年も先輩。仏教とキリスト教のこと、釈迦とイエスのことを色々思い浮かべる。ピルグリメイジは仏跡参拝と全く同じ。それにしても真夏の日差しは強い。風があるのでどうにかしのげるが、大地はアメリカの西部劇の地を思い起こさせる。岩狸がいるというが、その動きはない。この不毛(?)の大地をよみがえらすのは大変なことだろう。

カペナウム見学。聖ペトロの家の上に建設されつづけた教会、体育館のような教会の屋根、祈祷所、四角形。いい空間。禅堂に似た感触があり、禅定にすっと入れるような処。外に出て、ペテロの像、ガリラヤ湖を見る。たくさんの石造りの遺跡のある処。帰りにカメルーンの団体。布地は共通だが、めいめい自由に服を作って、チョッキやらズボンやらスカーフやらを着ている。この感覚の自由さは実にいい。その団体とまたまた大交流。山口神父は他の国の団体の神父さんともよく通じていて、言葉も自在で一緒にいるだけで頼もしく安心。

暑さ対策で私はビール、高橋さんはパインジュース。この大地の中でバナナ、マンゴー、ナツメヤシ、オリーブ、スイカなどの生産が盛ん。キブツ(イスラエル独特の集団自治農場)ではイスラエル全体の40%の食料を生産しているとのこと。イスラエルは食物自給率は90%とのこと。

最後にマグダラの街の発掘現場見学。バチカンのものになっていて、世界中からボランティアが来ている。バチカン管理下は他と違ってきちんと調っていて綺麗。ホテルに戻って6時半夕食。遅くなるとユダヤ人が大挙してくる。彼らの食事は8時頃とのこと。西郷さん高橋さんでユダヤ教、ユダヤ人の生活、選民、などなど活発な意見交換。レストランの閉まる8時半まで。楽しく飲み、食べる。

 

【7月8日】

 山口神父とのピルグリメイジ5日目9日。早朝4時25分に昨日8日のことを書き出す。ガリラヤ湖に昇る朝日を撮影。5時52分頃。となりのご婦人も写真を撮っている。素晴らしい御来光であるということ。8時半にハニーさん、アラブ系の方の運転によるベンツの頑丈なバスに乗る。山上の垂訓教会に向かう。ほぼ20分で到着。垂訓教会はガリラヤ湖を見下ろす丘の上にあり、湖が見渡せて実に風光明媚な所。木々もしっかり根を張り、枝枝は天をおおい、明るく清潔な公園を思わせる聖域。教会の外の礼拝所でミサが始まる。全員に渡された「祈りの手帖」のおかげで、なんとなくミサの形がわかってきたが、まだまだ。讃美歌を始めと終わりに唱え、あとは神父のお導きで祈りを行う。柴田孝子さんのご指示で、ミサの終る前に般若心経を唱えることになった。礼拝場はあちこちにあり、アフリカから来た団体、イタリアの団体、韓国の団体が、それぞれのミサ場で礼拝を行っている。聖体拝授、私たち異教徒にはパンはないが、白ワインはいただく。菩提樹を連想させるような大木の前の祈祷所は明るく、鳥の声がきこえてくる。ガリラヤ湖から吹き上ってくる風は、なんともいえず心地よい。神父さんにうながされて般若心経を心静かに、教会の雰囲気に合わせて独唱する。高橋さんやマーガレットさんもを合わせてくれる。通訳の西郷さんも、般若心経を毎朝あげているとのこと。

 ここでお経を唱えさせていただけるとは思わなかったの。お経を唱え、回向でイエスキリストへの感謝とピルグリメイジの仲間たちの平安を本尊回向の形で唱え、祈る。皆とても喜んで下さった。これからはお経も用意して、皆で読みたいとの声があがった。

この教会はイエスが、その思想、教義の重要な部分を語ったとされる。教会自身が八角形になっているのは、「求めよさらば与えられん」、「狭き門より入れ」などの八つの聖句が(マタイによる福音書)元になっているとのこと。

昨日のペテロ首位権の教会、パンと魚の奇跡教会もここにある。記念として孫のルリカ、カノンのためにTシャツを2枚、黄色と緑色を求める。お線香をつけるためのマッチを、ミサのロウソクをつけるのを私の朝用にいただいた。

教会からは歩いて山を下る。イエスキリストが歩いた道を我々も歩く。バナナ農園、土、ほこりの道を下る。ちょっとしたハイキング気分。しかし、なんにも光をさえぎってくれるものがないので、汗が噴き出てくる。歩くことおよそ30分、湖畔の道に着く。ペテロの教会でトイレタイム。そのまま歩いてパンと魚の奇跡の教会へ。暑さは相当。着ていた“喝”のTシャツもビショビショ。相当くたびれてパンと魚の奇跡の教会に辿り着く。魚のロゴのついたTシャツを着替え用に求める。バスの中で着替え。さっぱりしました。

昼食は聖ペトロの魚、セントピータースフィッシュをまた食べる。聖ペトロが釣りあげたこの魚(ペテロは漁師の網元であるとのこと)、が銀貨をくわえていたということで、おめでたい魚とされている。昨日のレストランとは料理が違う。ここのはいかにも素朴。のんびりした食事が終わり、お手洗いを済ませて、いよいよゴラン高原に向かう。

西郷さんの迷通訳を聞きながら、“おとこが代わると、よく眠れませんわ……”。地雷源や昔からの戦争のこと、最近の中東戦争のこと、エジプトのこと、シリア、ヨルダン……。イスラエルに“本当の平和”が来るまではゴラン高原は返せないと……。ドウール人の村。十字軍が祖先とのこと。たくさんの迫害を受けて、このゴラン高原に住んでいるが、今は果樹の栽培などで豊か。男尊女卑の典型の部族。途中でバニアスに立ち寄る。ローマ時代の神殿、ローマはイタリアと思っていたが勢力圏の拡大で、こんな所にもローマ時代の建築物の遺跡が残っている。時代が雄大であったということなのだろう。そしてヨルダン川の源流の湧水。イエスもここを通ったこと。地中海をはさんで多くの国々があるわけで、日本の瀬戸内海のまわりにたくさんの民族の違う国があったと思えばいいのだろう。昔は今ほど国境がきちんとしていないだろうし、大国の勢いはとどまる所を知らなかったわけで、その影響の下、文化や宗教や建築が拡大していった、ということだろう。雄大でなおかつ、ひどく現実的な攻める、攻められる関係があったのだろう。そのことがゴラン高原をめぐる、イスラエルとシリアの今の関係に象徴されている。ヨルダン川の源流は元々シリアの地であり、和平交渉が成立すれば、この地はシリアに返還しなければいけない。ゴラン高原のイスラエルとシリアの国境地帯、国連平和維持軍、日本のPKO活動、ヒゲの佐藤さんの自衛隊(10年いた)の基地を、ほんの先に見下ろす地で、イスラエルのことやシリア、ISそしてレバノン、ヨルダンのことを思うと、急に平和と民族の調和の難しさを実感する。シリアから銃弾が一発イスラエルに打ち込まれると、イスラエルのミサイルが飛んでいく。そして、中東戦争の時は戦車戦であったということで、この地が日本の戦国時代の歩兵戦での地域の取り合いとよく似ていることが分かる。イスラエルにとって、東北方面のこの地は、守らなくてはならない大事な所で、国の要綱であろう。ゴラン高原は、高原とあるが、水もあり木々もあり、牛がいて馬がいて、公園も出来て畑もあり、果樹も栽培できる実に豊かな所だ。シリアとの国境と言うが、国境の厳しさというものは直接的には感じられない。現在は緊張ある平和ということか。

この日までユダヤ教の安息日で、ユダヤ教徒は労働をしないので、街も静か。夕食は7時半、例によってビール、ワイン、ジュース、自分で行っていれての自由さ。これは面倒くさくなくて良い。9時半まで西郷節。相変わらず面白い。恋人はたくさんいて、今、バツーの35歳の日本人と結婚したいとのこと。鹿児島で住職をされている親の介護のこと、女性の生き方、男性の生き方……。レストラン閉店まで。

【7月9日:ティベリアからカナ、ナザレ、エンボケックへ】

 5日目を迎える。エンポケックのホテルでこれを書いている。目覚ましをつけて朝3時。鎌倉の須藤さんから電話。花火大会のこと。3分。剃髪、お線香をつけて香りを楽しむ。なんと昨日から朝のお経をあげる。ごく自然にそうなった。今日も寺と同じお経を読んで、回向。日本の習慣がふっとよみがえってきた。これはミサでお経を読ませていただいていることの効果かも。でも、お経が自然に出てくることはとてもいいこと、有り難い。これに旅行の皆さんの無事もお祈りした。5時50分、ガリラヤ湖から昇る朝日。高橋さん312の部屋に移動、ガリラヤ湖の朝日の写真を撮っている。荷物を作って、7時食事。8時出発。

 お経を唱えたあと、4時45分机に向かう。移動はバスなので睡眠の不足はバスの中でとれる。ありがたいことである。さて、昨日9日の滞在日記をまとめていこう。

 3日間滞在したティベリアのレオナルドプラザホテルを出発したのは朝8時。荷物を外に出した時、ドアが閉まり、締め出されてしまうひと騒ぎ。出発準備ができていたので、レストランに6時半に入り、朝食を始める。相変わらずの蛇口ビール。食事を済ませて、山口神父にフロントからスペアカードを借りていただいて、入室して貴重品をもって出発。カナ・ナザレ・メギット・エンボケックへ。

 カナに到着。斜面の街。石畳の小道の両側に相対して、カトリックとギリシア正教の教会。日曜日のミサの開始を知らせる鐘がけたたましく鳴る(なんと鶏も鳴いた)。教会の信者さん方のミサ中は、私たちは中に入れない。ブラブラお土産屋さんに入り、赤ワインサービスで飲ませてもらう。甘い。それぞれ買い物、ぶどう酒やロザリオ、多種多様な小品、私は調子に乗ってチャプレンの帽子二つ。

 この教会はイエスが最初に奇跡を起こした(水をワインに変えた、カナの婚礼の奇跡)場所に建てられた。結局教会の中には入れず、移動。バスに乗ってナザレへ。

 雰囲気のいい、お洒落な街。ここにはイスラム(ムスリム)とユダヤ人が半々位で住んでいる所。最初に聖ヨゼフ教会へ。教会の本殿を使ってミサ。いくらか慣れてきたがまだまだ。讃美歌を歌い、祈りの手帖のもと、共に儀式を作ってゆく。聖体拝授(パン)。ワインを飲ませていただいた後で、私の般若心経。そして、普回向(願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし我等と衆生と共に仏道を成ぜんことを)を唱える。なんとなく、皆さんに意味を解って欲しいように唱える。最後は山口司祭がまとめて終了。教会の聖堂、つまりお寺の本堂での儀式は荘厳で、イエスキリストに守られているようで、なかなかよい。そして何とも言えない清々しい心身になれる。続いて素晴らしく大きく完成された教会、バチカンの所管の受胎告知教会に行く。境域はこう言っては失礼だが、お金を惜しみなく使って、なおかつ教会の霊性と威厳を保つように作られている。聖堂の中は“Silent(お静かに)”の表示。帽子は取る、但し写真はOK。正面のイエスキリストとペテロ、他の群像の下に、マリアが妊娠を告げられた当時の洞窟があり、それが聖体となっている。広い拝殿の中には、各国から贈られた母子像がたくさんある。日本からは長谷川路可の「華の聖母子」がある。日本を実感できて、懐かしい思いがした。皆さんそれぞれの思いで拜礼、聖体所の洞窟をお参りする。日曜日なので、売店も閉まっている。白い日差しの中で段差に注意して手すりをたよりに階段を降りる。何しろ大理石・白い石なので、段差の区切りがとても見えにくい。教会のとなりのイタリアの雰囲気のレストランで昼食。格好いいオーナーと従業員。私たちが一番目。次にフィリピンのグループ。結構うるさい。マリアがイエスの受胎を告げられたことで、ここはキリスト教の大切な聖地。世界中からピルグリメイジの方が絶えない。バチカンが直接管理する大事な所。

 昼食を終えて、キブツのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)のモザイクを見て、ベト・シェアンへ。ここは大変な場所、通訳の西郷さん曰く、ポンペイに次ぐローマ時代の大都市の遺跡。まさにその通り。ローマの遺跡がこの地にこんな立派に残っている事に驚き。大通りをはさむ円柱、野球のスタジアムを思わせる円形劇場、サウナ風呂。まあ、当時の生活を彷彿できるだけでも嬉しい。40度近い暑さ、腕がヒリヒリしてきて、足取りも悪い。50分程の見学と説明を受け、受付の土産屋でショッピングを兼ねて休息。ここは冷房がきいている。皆、アイスキャンディーや冷たい飲み物に飛びつく。私は2ドルでソフトクリームチョコレート入り。

バスに揺られ、死海のエンボケックへ。ヨルダンとの国境やナツメヤシ一杯の畑、土漠の荒野の中を農産物の栽培が進んでいる。ヨルダンとイスラエルは今、共存。相対していても平和を保ち、共に協力し合っている。途中、イスラエルの検問所二ヶ所。一ヶ所は銃を持ったイスラエルの若い兵士が乗車。パスポートの声。何人かが見せると、それでOKOKと言って終わり。死海が見えだし、キブツの農場が世界でも有名な塩水製品のクリームや石鹸を作っていることの説明。石鹸やクリームをあとで買って欲しいとのこと。6時ホテル着。エンボケックは完全な死海、浮遊体験の保養地。いくつかの大きなホテルだけがそそり立つ。6時半3階ロビー集合。歩いて5、6分、死海浮遊体験へ。まさに説明通り体が浮く。バランスとって新聞も読める。まあ、それだけのことなんですが、体験しないことには浮くことさえ実感できない。携帯でまたひと騒ぎ。部屋に戻るとチャンとあった。やれやれ山口さんや西郷さんにごめんなさい。8時集合でレストランへ。西郷さんパス。9人でテーブルにつき、団らんしながら楽しく食事。いつもながら、ビール、白と赤のワイン。ホテルに着く前、一日の旅程が終わった所で、山口神父の一日に感謝の夕べの祈り。朝は乗車して、すぐに朝の祈り。夕食で乾杯の時、イエスキリストのおかげと言ったら、なんとくなくそれは違うでしょうの雰囲気。今日で5日目。旅程の半分終わり、いよいよエルサレムに向かう。疲れが出てきているので、要注意。忘れ物などなど。5時50分書き終わる。このあと小川論文。時間があれば臨済録。その前に荷物作る。

 

【7月10日:マサダ、クムラン、ヨルダン川洗礼所そしてベツレヘム】

 3時40分起床。ベツレヘムに着いた昨晩は、食事の前に高橋さんの742の部屋のベランダから夕日を見る。異国の風景である教会やモスクを染めながら沈む夕日は、とてもロマンチックでワクワク感がジワーッと体にしみてくる。そんな風景を味わえることが嬉しく、ありがたく幸せ。その後、1階のレストランで食事。西郷さんが色々ベツレヘムのこと、現地の事を説明してくれた。部屋にポットがないので、西郷さんがお湯をもらってくれる。マイポットにいれる。ワインを注文したが、なかなか来ない。西郷さん、私の部屋にはバスタオルがなく、注文しても1時間たっても持ってこない。シャワーが使えず、この格好とのこと。そして“アラブ人”だから仕方がない。“アラブ人”って、その感覚は私には少しも解らない。尋ねると、悠長なこと、すぐに対応しない、のんびり、気長、あせらないということらしい。それを思うとティベリアのレオナルドホテルの自動飲み物装置は抜群。私にはイスラエルの、ここがアラブということがやはりよく解らない。山口神父さん曰く、前には注文したワインがデザートを食べ終わる頃に来たとのこと。日本人の感覚とは相当ずれがあるということか。宿泊しているシャサー・パラス・ホテルはアラブ資本の経営ということらしい。それにしても、昨日泊まったエンボケックのデーヴィッドリゾートホテルとは雲泥の差。デーヴィッドホテルはお洒落な上に死海が部屋から見え、おまけに15階なので見晴らしが実によい。高温だが、あまり嫌な感じがしない。ベランダの椅子に座っていると、心地がよい疲れで、思わずうとうとしてしまう程。ベツレヘムのこのホテルは宮殿のあとだが、私の部屋は3階なのだが、外にホテル内の公園があり、働く人や通る人の声が聞こえてくる。この日記を書いている4時55分、すさまじいモーニングコールが鳴る。まるで避難訓練のよう。これでは寝ている者は飛び起きるだろう。あとで解ったが、退避の命令、但し誤報であったらしい。そして朝起きた時には、外にはコーランの詠唱が響き渡っていた。ベツレヘムはキリストの生誕の聖地でもあるが、イスラムの地でもある。宗教都市という言葉が自然に浮んできて、鎌倉のことを思い出したが、やっぱり何かが違う。お互いが融和していこうとしているのではなく、自己主張している感がある。

 昨晩の二次会では、ホテルのコーヒーラウンジで山口神父、西郷さん、平野さん、高橋さん、エンさんと私の6人で、美味しい白ワインを飲みながら歓談。ヨルダン川で私が洗礼を受けたこと。キリスト教と仏教のこと。布教と地域のこと。“新しい村”を作ることが、必要になってきていることの私の意見表明などなど、実に中味のある飲み会ができた。

 さて、やっと昨日10日のことを書くことになった。ここは読書や筆録をするテーブルときちんとしたライトがあるので、ティベリアのホテルのように洗面所で筆録をする必要がないのでありがたい。昨日作っておいた鎌倉備屋(びんや)のコーヒーと海苔ピーパックをおともに書いている。なんともいえない幸せ感がある。机上を整理して、香り高い線香をくゆらし、一昨日より始めた朝のおつとめをする。これはこれで清浄感を味わえるし、自分の立ち位置を確保できるので実によいこと。それを発見したのは、異国の地にいることのおかげだと思う。

 昨日の行程はキリスト教的には直接のことはないが、百聞は一見にしかずを昨日も又、味わった。マサダ遺跡では、400mの高さをロープウェーで3分。巨大な岩盤がそのまま高く持ち上げられたような要塞都市。山城。よく出来た案内道に従って、この山の要塞をじっくり味わう。蛇門、沐浴場、北の宮殿、そしてローマ軍が作った破壊攻撃のための坂道、西の宮殿を見て回る。この西の宮殿、その昔ユダヤ教徒が聖書の勉強をしていた場所で、ミサ。西暦70年のローマとユダヤとの戦争、2年の籠城、1万人対969人の戦い。その戦いで徹底抗戦をしたユダヤが敗れ、ここからユダヤ人の2000年の苦難の歴史が始まるという。イスラエル軍の入隊式はここで行われ、“マサダは2度と陥落させない”という宣誓で入隊式を締めくくるという。ユダヤ人の結束と実現力の源泉を見る思いがした。付属施設の国営売店でアハバクリームと石鹸を買う。

 続いてクムラン。『死海写本』の発見で余りにも世界的に有名な場所。紀元前2世紀の聖書や創世記の記録などが発見された。敦煌での敦煌文書の発見と、何か共通するものがある。砂漠、洞窟、記録、人類の精神的な歴史が、当時のものでしっかりと確認できるのは、実に貴重であり、ありがたいことである。

 途中、エリコの幸福の丘へ。周囲を展望できる小さな丘に登る。暑い。とても暑い。フライパンの中の虫の気持がよく解る。その丘の上の格子屋根の下でミサ。般若心経の後“願わくはこの鐘聲、法界を越え、鉄囲幽暗ことごとく皆聞こゆ。耳根清浄にして圓通を生じ、一切の有為情正覚を成ぜんことを”と、鐘聲回向を唱える。丘を下りれば水と緑のオアシス。この対比はなんだ。ここで昼食を登る前にとる。後だったら、とても食欲は出ない。そしてヨルダン川沐浴場。巾の狭い泥のたまり川(というより沼)。ここはイスラエルとヨルダンの国境。警備所もありイスラエル兵もいるが、今はとても静か。川の向こう、ヨルダン側のギリシア正教の礼拝所が真正面によく見え、人も動いている。私もせっかくの機会なので、祝福の儀式を受ける。山口神父が川の水を手に、頭に3回水をかける。仏教の“灌頂の儀式”と全く同じ。ここは国境警備上、4時までの入門。5時には入門は停止となる。そしてベツレヘムへ。

 マサダでは強固な山城。クムランでは死海写本が発見された洞窟の見学。エリコでのアラブ料理、タイヤービル。エルサレムを通過してベツレヘムに入る。ナンバープレートの色が白、黄色でエルサレムに入ることを区別している。周りの雰囲気が何か少しずつ変わっていく。ヨルダン川洗礼場の近くの鉄条綱、不法入国者発見のための足跡のつく道路、地雷原。これがエルサレムに近付くと、ビルや住宅がそびえたってきて、噂の隔離壁が出現し、住居を分断することが、身近な生活の中に出現する。日本で言うと、新宿と渋谷の間に壁ができたようなもの。見たことがないが、かつてのベルリンの壁はこうであったのだろう。民族や宗教の違う人が住んでいると、こういうこともあり得るという残念感、無念感、諦念がわいてくる。救い難い行為と思えるが、所詮人間のしていること。いずれ撤去されて、共に仲良く暮らしていくことが、出来る時代を想像しよう。このことは今日明日のエルサレム滞在で、もっともっと味わうことになるのだろう。そして混在している宗教都市のありようが、人々の思いが……。イエスキリストにしてもマホメットにしても、このようなことを、結果を、想像して期待していたのだろうか……。

 6時日単を書き終わる。コーランの詠唱はあれ以来、聴こえてこない。昨日到着した時に洗ったTシャツ3枚、ステテコ1枚、すっかり乾いている。さあ、今日はエルサレム見学。中味のこい、そしてよく歩く1日になりそうだ。そういえば、携帯の万歩計は毎日1万歩を記録している。入国以来、乾季のことでもあり、雨の気配は全くない。

【7月11日:エルサレム・ベツレヘム】

 ベツレヘムのインターコンチネンタルホテルで二日目の朝を迎える。今日がエルサレム訪問の最後の日となる。朝3時40分に起床、剃髪、洗面。45分にコーランの詠唱する音(声)が街中に響き渡る。昨日もそうだったので驚きはしない。昨晩は高橋さんの742の部屋の素敵なテラスで、皆でサンセット白ワインをいただいた。雲の中に太陽が沈んでいった。7時半頃だったか。下では結婚式のにぎやかな歌とアラブの音楽が聞こえる。近所迷惑などというものはここにはない。地域の人全体で祝福をしていることがよく解る。これがアラブ的なのだろう。途中で夕方のコーランが鳴り響いてくる。涼しい風も吹いてくる。ベツレヘムに居るということが、意外ではなく自然に感じられる。私、平野、西郷、山口神父、柴田、そして高橋さんで白ワインを飲んで、ささやかなサンセット飲み会。夜8時すぎ、1階に降りて皆と合流して夕飯を食べる。西郷さんにお湯をいれてもらう。アルコールと飲み物の50ドルは今日は私のおごり。

 さて、昨日のことを書かなくてはいけないが、旅の疲れと記憶力の低下と、あまりにも沢山のものを見たので、スムーズに思い起こして書くのが難しい。本日と明日は今回の旅の目的、イスラエル巡礼(ピルグリメイジ)の最終目的、イエスキリストを体験する日になる筈である。8時出発。エルサレムの街が一望できるオリーブ山から西郷さんの説明を受ける。谷の向こう側のエルサレムはそんなに大きな処ではない。城壁の中に、歴史とキリスト教とユダヤ教、イスラム教がギュッとつめこまれている。イスラム教の岩のドーム、イエスキリストが十字架を背負って歩いたヴィア・ドロローサ(悲しみの道)、キリストの死と復活の聖墳墓教会などが混在する。おまけに旧市街の城壁の中は、ムスリムの地区、キリスト地区、ユダヤ人地区、アルメリア地区と来る。まさに混沌、一体でありながら、宗教的には一体ではない。それぞれが強烈な個性をもって自己主張をしている。それでいて、ここでしか表わせないものを表現している。

 今日はほとんど歩き。昨日は15000歩。初日から7000歩、6000歩、1万歩、1万歩、1万歩と歩いている。相当な歩数になる。膝も痛くなる。高橋さんは半月板が傷んでいるので、少し大変そう。オリーブ山を降りて、たまたま開いていたロシア正教のマグダラのマリア教会を参拝。イエスが最後の晩餐をした後、捕えられたゲッセマネの園。そこでオリーブ油を買う。この油は帰ってから横浜の紅葉山教会の荒井牧師に進呈。さて、そこからは行程についていくのが精一杯。ムスリム地区に入ってヴィアドロローサ。有罪判決を受けて十字架を背負ったイエスが歩んだ道を、グループで歩く。教会から路地、路地から教会へ。イエスの足跡のあとには、その上に教会が建てられていることが多いので、地下へ降り、また降り、そして登ってくるの連続。路地はせまく、坂道や小道の両側はお参りに来る人目当てでのお土産物屋さんが続く。ヴィアドロローサの最後はゴルゴダの丘にある聖墳墓教会。服を脱がされ十字架に釘づけにされ、亡くなり、マリアが亡き骸を受け取り、墓におさめられる。聖地には鏡のような星印の彫刻の模様が彫り込まれた石(?)があり、巡礼の人はその石に手を当て、あるいは接吻して、キリストとの交わりをする行列が続く。この暑い時期なので、お参りの人は少ないが、シーズンでは2、3時間待ちは当たり前とのこと。私たちは幸いに人の少ないこの時期のお参りなので、わりとゆっくり、静かにお参りすることができた。イエスキリストの受難の地をめぐり終え、なんともいえない達成感、充足感に満たされたあと、昼食はテラスレストラン、アルメニア料理ということで、ビールが美味しい。食事もよい。相変わらずの炎天下で足もくたびれ、思考も衰え、昼食のひとときは、大切な休憩にもなる。もう一杯飲みたいところをぐっと我慢。このあと、聖母マリア昇天教会、最後の晩餐の部屋、ダビデ王の墓、聖ペトロ鶏鳴教会(キリストの牢獄跡)。2000年前、イエスが歩いた階段跡をめぐりバスに乗ってベツレヘムの降誕教会へ。バスで40分位か。少しうとうとする。バスの中は涼しくて気持ち良い。聖誕教会は、イエスキリストが生まれた場所に建てられている。受胎告知教会はナザレにあり、エルサレムとは250㎞離れている。マリアはその旅をして、ここまで来てイエスを産んだことになる。聖誕教会にはキリスト教の各会派の修道院と教会がある。ここもシーズンでは数時間の行列があるとのことで、私たちもバスから降りたら真っ直ぐ行列の後ろに並ぶように指示された。結果はまったく並ぶことなく、お参りできた。エルサレムに泊まっている巡礼者は、4時前にエルサレムに帰らなければならないということで、私たちはベツレヘム泊なので、そのせいもあるようだ。

 イエスが生まれた所に手を入れて、印形の上に手をあて、祝福をさせていただく。赤ん坊のイエスが置かれた場所でも祝福。写真も撮れた。山口神父曰く、4回目で初めての体験。こんなにすいているのか不思議。皆の中から自然に讃美歌が響いてくる。私もイエスの生誕地にいる不思議な充足感にひたされている自分を発見する。イエスキリストの聖誕と終焉の地を1日の中でお参りでき、手で確かめることができたことなど、今まで想像もできなかった。今回の巡礼はここでほぼ終わり。お土産屋さんに行って、買うものもないのだが……。石鹸をまた買う。外食をするかどうかで皆で相談。結局ホテルでサンセット白ワイン、そして夕食。

 今回の巡礼のあがりがティベリア・ガリラヤ湖周辺を先にして、エルサレム、ベツレヘムが最後というのは、締めくくりがよくて有り難い。イエスの生涯がよく確かめられた。私にはキリスト教の貴重な体験。ミサ、朝と夕の祈り。そしてミサのたびに、山上の垂訓教会から始まったのだが、般若心経を誦えさせてもらった。各回、回向はそれぞれ違うものにして、皆さんに雰囲気を味わってもらえるように行ってみた。この体験も有り難かった。山口神父さん曰く、ガリラヤ湖やエルサレムの教会でお経が唱えられたことは、今までなかったのではとのこと。もったいないことであり、イエス様、山口神父に感謝である。そして、9人のメンバーと西郷通訳さんありがとう。さあ、今日は最後のピルグリメイジとなる。朝6時25分日単を書き終える。

 

【7月12日 エルサレム神殿の丘と嘆きの壁】

 今、ターキッシュエアラインの中にいます。テルアビブを昨日の夜の9時45分に出発。空港は予想に反してとてもすいていて、心配だった入口検査も通過、一人一人の対面の応答がある審査も、日本語の字幕が出て、それに従ってYES、NOで答える。荷物をどこにおいてありましたか、自分で荷物を作りましたか、誰かに物を預けられたことはありませんか、などなど。別に難しい質問ではなく、荷物をあけて調べられることもなかった。そして、入国のパスポート審査。なんと機械の前に立ってパスポートを置き、自分の写真と本人を機械が自動的に確認してくれて、確定を知らせるメモ用紙が出てくる。それを入口の機会にタッチして、それでOK。なんと合理的になったものとびっくり。西郷さんがここまで面倒を見て下さる。2時間弱でイスタンブールへ。機中で映画を見る。日本とトルコの友好の発展が、中東戦争時日本人のテヘラン脱出のトルコによる日本人の救出につながる映画(「海難1894」)。あまりのタイミングのよい映画に心が動く。映画は山口神父のアドバイスによる。イスタンブールのトランジット(乗り継ぎ)も実にスムーズ。来た時にもよったので、振り出しに戻った。空路の要所地点とあって、世界中の様々な人がいる。黒い人、黄色い人、白い人、太った人、でかい人、小さい人、民族の混交を示してくれている。イスタンブール1時40分発。これから12時間の永いフライトが始まる。

 さて、昨日12日のことを記すとしよう。昨日はエルサレムで過ごす2日目と同時に今回のピルグリメイジの最終仕上げの日。8時にベツレヘムのホテルを出て、アラブ人、つまりパレスチナの方々の住居地からユダヤ人の住むエルサレムへ。ベツレヘムは人間の血が通っているというか、雑然としたまとまりのないような印象だが、なんとなく人間の暖かさを感じる。40分ほどでエルサレムに入ると雰囲気がガラリと変わる。高層のビルが立ち並び、車はスマートに流れ、人々の動きもどことなくスマート。まずエルサレム市街の神殿の丘にお参りする。ここは旧市街の20%を占める地で、ムスリムとユダヤ教、キリスト教の3宗教の聖地となっている。元は一つの存在が3つに分かれて存在しているということ。この神殿の丘は世界が創られた時の基礎石が置かれた処で、エルサレムの中心、つまり世界の中心を表わす処である。ユダヤ教の聖地であり、イエスも頻繁にここを訪れたという。かつてここにはユダヤ教の神殿があり、神殿はローマのティドス将軍によって破壊されたのが、紀元後70年、そしてヨルダン等によって支配され、ユダヤ人は900年ここに近付くことができなかった。1967年6月に起きた6日間戦争(第三次中東戦争)によって、900年にわたった悲願が成就してイスラエルの支配下に至っている。といっても、この城壁の上(中)にはイスラム教の寺院である、岩のドームがある。岩のドームはムハンマドの昇天したところで、イスラム教にとっても第3の聖地。

 ユダヤ人とイスラムは仲があまりよくなく、岩の寺院にユダヤ人が入ることをムスリムは極度に嫌っている。岩のドームのある神殿の丘に入るには、厳重な検査を受けなければならない。ムスリム、イスラム教は偶像崇拝を嫌い、他の宗教を示すような装飾品を身につけたりする行為は絶対にしてはならない。女性も肌を露わにしてはいけない。男女が手を握りあったり、寄り添ってもいけない。実際にこれらのことをしたらどうなるかは知らないが、厳重である。入口にはイスラエルの警官もおり(ムスリムとの間で、よく揉め事が起るとのこと)、荷物検査、身体のチェックもある。モロッコ門から入るのだが、城壁の上まで木製の橋の道が作られている。この橋から嘆きの壁もよく見える。中に入ると、エルサレムを象徴する岩のドームが姿を見せてくれる。天井部の円形ドームは金メッキのアルミ箔がまさに黄色く輝き、その下の壁はペルシャで焼かれたブルーのタイルが張られている。まさにそこに神が鎮座ましましておられ、今もムハンマドがそこから黄金に輝いて昇天していくのを祝福しているようだ。安定感と色彩の鮮やかさが世界に二つとないモスクであることを示している。岩のドーム広場にはまばらに植えられている木々があるだけで、よくあるような宗教的なレリーフもなければ、置物のようなものも何もない。石畳が広く広く続いているだけだ。このさっぱり感もなかなか不思議な安らぎ感がある。ただ祭典の時は、この広場がイスラム教徒で埋め尽くされる。西郷さんの説明をきいて、城門の外に出て、“嘆きの壁”に向かう。この壁がかつてのユダヤ教の神殿の一部でもあり、ユダヤ教徒の900年に及ぶ宗教上の悲しみを象徴する処。中に入るには、男性はキッパ帽をかぶらなくてはならない。男性と女性は別々なので、私たち男性、山口神父、平野さん、私の3人はそろって祈りを捧げる。城壁の石は永い時代の祈りによってなめらかになり、そこを通して伝わってくる冷たさと自分の手の暖かみが交わり、それが信仰をあかす手触りとなって還ってくる。ユダヤ教の坊さんであるラビさんに頼んで、3人の記念写真を撮ってもらう。たくさんの人の各自それぞれの祈りの姿も、印象的。神殿の丘入場の橋の上から見ても、この男女が祈り、壁にすがる姿は印象的である。ピルグリメイジの私たち9人は、それぞれの感慨をもって歩く。キリスト教の巡拝でもあるのだが、この岩のドームの巡拝はいろんな宗教を体験できる独特のもの。

イスラム博物館へ。死海写本を守っている処。建物は見事だが、展示はいまいち。ローマ時代のエルサレムの50分の1の復元模型は当時のことを理解するのにとてもよい。高橋さんに通訳してもらい、お土産を買う。銀製のカップは寺の本堂のお線香入れになっている。ユダヤ人街に戻って昼食。エルサレムが見下ろせる処。食後、ホロコースト記念館へ。たくさんの観光客が熱心にしっかり見ている。西郷さんの名解説でホロコーストの始まりから終わり、そして現在へと、その姿をよく示してくれる。杉原千畝の木を見て、追悼の祈りを捧げる。洗礼者ヨハネの教会へ。山口神父の先導でいつもの通りのミサ。皆の共同宣言。それぞれ、今回の巡礼の旅の感慨を述べる。高橋さんの平和を大事にし、作り上げる言葉が自然に流れ出てくる。さすが外務省の出身。私はこの8日間の巡礼ができ、イエスキリストに近付け、気付きをいただいたことを感謝。皆さんが聖体拝授を受けるのを見て白ワインをいただく。最後のミサの後で、般若心経読誦。回向は四弘誓願文(衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成)とした。歩いて、皆で早い夕食へ。暖かい感謝と西郷さんへのねぎらい。旅の無事の終了を祝い、共々飲み、味わう。高橋さんはもう一泊してパリへ。大きなスーツケースと手荷物ケース。別れがなんとも切なく淋しい。西郷さんの出国指導を受ける。運転手のハニーさんはテルアビブ空港まで私たちを送って下さり、私たちが最後のゲートに入るまで手を振って見送ってくれた。帰国後、「PILGRIM CERTIFICATE(巡礼証明書)」が送られてきた。

以上で狸和尚のイスラエル巡礼記は終わります。帰国後、柴田孝子さんから分厚い「聖書」と、「キリストと我等のミサ(改訂版)」、「わかりやすいミサと聖体の本」の三冊を贈っていただきました。又、皆さんからたくさんの写真やご指摘をいただき、より明確な旅行記をかくことができました。有り難く感謝し御礼申し上げます。旅行中に感じたことを、まとめた各論は別の形で報告致します。