慧光(えこう)

「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。

第161号 令和3年 盂蘭盆会号

慧光161号

未来への進み方
禅福 尚玄
鎌倉流御詠歌を味わう4
宗禅寺 高井和正
禅と共に歩んだ先人~山岡鉄舟6~
一峰 義紹
禅寺雑記帳
禅林 恭山

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未来への進み方

お盆の季節がやってまいりました。今年も昨年と同様、施餓鬼会は規模を縮小して執り行われることが決定しております。
こんなにもコロナ騒動が長く続くとは思いもしませんでした。マスクなしでは外も歩けない日々がいつまで続くのかと、途方に暮れてしまいます。

コロナに限った話ではありませんが、これからの未来を生きる子ども達が、こういった不安や恐怖を感じることのない生活が送れるよう、唯々祈るばかりでございます。

さて、「未来」といいますと、皆様は未来にはどう進んでいるとお考えでしょうか。未来が前方にあるとして、その未来へ向かってまっすぐに進んでいき、過去は後方へと離れていく、と考えている方が大多数かと存じます。ところが、日本語には「先日はお世話になりました」や「後回しにする」といった言葉がございます。

未来が前方にあるのであれば、後回しではなく先回しに、先日ではなく、後日となりそうなものですね。このような時間と空間の概念が逆になっている言葉が日本語には存在いたします。

なぜ、このような言葉が存在するのかといいますと、ある学者の話では、室町時代までは「さき」という言葉は過去を示し、空間用語としては「前方」を示していたそうです。そして、「あと」という言葉は未来を示し、「後方」を示す言葉だったそうです。このことから、室町時代までの日本人は、未来が前方にあるとして、後ろ向きになり、過去を見ながら未来へ後ずさりをして進んでいる、と考えていたのではないかと論じていました。過去は常に目の前にあり、故郷の景色や家族との生活など人々と共有できるもの、という感覚が基礎になっていたと考えられているそうです。

現代社会では、科学技術が発達したことにより、過去よりも未来を重視した社会になってきている気がいたします。過去の出来事を置き去りにしてしまうと、大切な何かを失ってしまうのではないかと危惧しております。

「先祖」という言葉も先の祖と書きます。
私たちが今こうして生きているのはご先祖様が命を紡いでくださったからです。
これからお盆が参りますが、どうか、遥か彼方にいらっしゃるご先祖様のことも思い、手を合わせていただけたら幸いです。
(禅福 尚玄)

鎌倉流御詠歌を味わう4

【孟蘭盆会施餓鬼和讃】うらぽんせがきわさん

次に同じく弟子阿難(でしあなん)
餓鬼に施す神呪(じんしゅう)を
数多世尊(あまたせそん)にさずけられ
その神呪の功徳にて
手向の水の一滴も
汲めども蓋きぬ法の水
一椀に盛る干飯さえ
万鬼の腹を満しけり
作曲菅原久子

七月のお盆になると各寺院では山門施餓鬼会(さんもんせがきえ)という法要が執り行われます。昨年からのコロナ旋風により、近隣の和尚さんがたくさん集まることが難しくなりましたが、それでもご住職お一人でも執り行うお寺さんが多いのではないでしょうか。現在、お寺で行われている施餓鬼会はご先祖さまへの供養という側面が強調されていますが、元々は文字通り餓鬼道に堕ちてしまった方々に対する供養をするための法要でしたお釈迦様の弟子である阿難尊者が修行中に、夢かうつつか餓鬼に出合います。

その餓鬼が、「あなたの命は三日後に絶えるであろう」と阿難尊者に伝えたのです。命が助かるためには、「一切無量の餓鬼に飲食の施しをし、供養せよ」と言われたので、お釈迦様に施しの仕方を教わり、施餓鬼棚にお米や野菜をたくさんお供えし、供養、をして、阿難尊者は寿命を得たと云われています。
このように、施餓鬼は元々は餓鬼道に堕ちたものへの供養でしたが、現在はあらゆる精霊への供養の場として執り行われています。施餓鬼棚の中央に「三界高霊」と書かれたお位牌がありますが、この世とあの世と、あらゆる世界の精霊に対して、施しを行っています。

施餓鬼棚と呼ばれる祭壇をお寺本堂の向こう正面、御本尊様とは逆側、つまりお寺の外方向に向かってお把りしているのも、施餓鬼会の精神の表れではないかと思います。導師はご本尊様に背を向けでお経をお読みすることになりますが、外に向かってお経をお読みすることで、自分以外のあらゆる命の存在に対して感謝の気持ちを表わしているのだと思います。本山の建長寺では山門施餓鬼の名前の通り、七月十五日には、本堂ではなく、文字通りの三門(山門)、お寺の入り口から外に向かって施餓鬼供養が執り行わ
れています。

お盆はご先祖様がご自宅に帰ってくる期間と云われていますが、施餓鬼会ではご先祖様はもちろん、あらゆる命の精霊に対して感謝の心を手向け、いまここに生きていることの有難さを実感するための供養となります。夏は生命の活動が最も盛んになりますが、命の恵みに感謝する施餓鬼会の心をどこかに留めておきたいです。
(宗禅寺 高井和正)

禅と共に歩んだ先人 山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)6

臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、前回に引き続き、幕末より明治にかけて活躍し、現代の日本のあり様にも大きな影響を与えているといえる「山岡鉄舟」についてお話させていただきたいと思います。

清河八郎
庄内藩士、清河八郎と出合ったのは鉄舟が二十四歳の頃でした。日本の行く末に不安を感じていた両者は意気投合し、親交を深めていきました。
前回世べました「日米修好通称条約」を結んだ幕府の姿勢に失望した人々によって「尊王攘夷運動」は活発化していきました。危機感を覚えた大老井伊直弼によって、世に一言う「安政の大獄」が行なわれました。幕府の政策に反対する者を強権をもって容赦なく粛清していきました。そういう時期に出会った二人は、志をを同じくする者らと夜な夜な会合を持ち酒を酌み交わしては国政について論じあっていたのでした。もちろん表立っては出来ない事でしたから、会合場所は清河の私塾や山岡の邸宅で内々に行なわれていました。

「安政の大獄」が始まった翌年、水戸の脱藩浪士達により「桜田門外の変」が起こされます。幕府の大老が暗殺されるというこの前代未聞の事件は、多くの志士に刺激を与え、倒幕、尊皇壌夷の機運を高めました。清河・山岡らも「虎尾の会」という秘密結社を結成し、攘夷・倒幕に向けての盟約を結んだのでした。

しかし幕臣である鉄舟は、この倒幕という事をどう考えていたのでしょう?鉄舟は徳川の世のままではこの荒波の中、日本は生き残れないとは考えていた様です。しかし何代にも渡り旗本として禄をはんで来た者として当然恩義を感じています。だからこそ源、足利の様な終駕を迎えてほしく無い、有終の美を飾ってほしいと思っていました。攘夷(外国人を排斤する)については現実的では無いと考えていた様で、他の仲間との温度差を感じます。鉄舟は相変わらず禅と剣の修行に没頭する日々を送っていましたが、清河が危険分子として幕府から目を付けられ、行動を共にする事の多かった鉄舟も幾度か事件に巻き込まれます。とうとう追われる身となった清河は江戸を脱出して方々を流浪する事となりました。清河との関係性を疑われた鉄舟は謹慎のうえ尋問を受けますが、なんとか疑いを晴らし講武所への勤めも再開されました。

そんな折、地方で多くの同志を集めた清河から便りが届きます。幕府政事総裁職にあった福井藩主、松平春嶽に上申書を出してもらいたいとの事でした。
以下次号
(一峰 義紹)

禅寺雑記帳

◆新型コロナウイルス感染症が未だ収束しません。非常事態宣言やまん延防止等重点措置が延々と繰り返されて辛い日々が続きますが、もう少しの辛抱と信じて頑張りましょう。朝の来ない夜は無く、止まない雨はありません。

◆今年の五月末に、アメリカのアマゾン社が配達センター内に、従業員がシフトの合間に利用出きる瞑想ボックス「Ama Zen」を設置すると発表しました。「Zen」は「禅」のことだと推察されます。目的は従業員の安全と心身の健康をサポートする為、ボックス内でメンタルヘルスやマインドフルネスを行う事です。

◆マインドフルネスは日本ではまだ聞き慣れない言葉ですが、アメリカではアマゾンだけでなくGAFAといわれるIT企業をはじめ多くの企業や政府機関までもが取り入れ実践して効果をあげています。実はスマートフォンには出荷時にこのアプリが入っている程普及しているのです。

◆このマインドフルネス、実はそのルーツは我々の禅なのです。スマホ等の革新的な発明をいくつもした故スティーブ・ジョブズ氏が日本人僧に参じて坐禅をしていた事実もマインドフルネスの普及に拍車をかけた一因です。

◆仏教語(パーリー語)の「サティ(今ここに気づく)」の英訳がマインドフルネスですが、現在普及しているマインドフルネスはマサチューセッツ大学のジョン・カパットジンという教授が、禅と西洋科学を統合したもので、「今ここの状態を、一切の評価や判断を挟まずにただ注意を向けて受け入れること」というトレーニングのことです。

◆私たち人間は起きている時間の50%以上は、「あの時あの人にあんな事言われた」といったように「今ここ」とは関係ないことを考えています。とっくに済んだ事を今に引きずって、自作自演で勝手に苦しみ続けているのです。マインドフルネスはこのような「心の迷走」に気づき、自分の呼吸を利用して心を「今ここ」に引き戻すことを目的とするのです。

◆この呼吸こそが、我々の坐禅の呼吸なのです。日本は鎌倉時代に禅が伝わって以来、武士の拠り所はずっと禅でした。武士は役目として与えられた自分の領地や領民、「今ここ」を命懸けで安堵しますがこれが「一所懸命」、いまの「一生懸命」の語源です。侍がいなくなってもしばらくは政治や財界のリーダーは禅に参じて腹を決めてきました。資源に乏しい日本が戦後の焼け野原から奇跡の発展を遂げた原動力も「今ここ」だったのです。

◆今日、アメリカという資源も豊かで人材も豊富な国が「今ここ」を取り入れ、そうした企業群がコロナ禍でも過去最高の業績を上げているのは象徴的です。

◆『羽村とうろう流し』は今年も中止となりました。
(禅林 恭山)