慧光(えこう)
「慧光」は、東京都羽村市の臨済宗のお寺(一峰院、禅福寺、禅林寺、宗禅寺)で設立された「羽村臨済会」の季刊誌です。
第160号 令和3年 春彼岸号
羽村の田んぼのチューリップ
春がやってきました。羽村の春といえば、田んぼのチューリップが有名です。
羽村の皆様はご存じですが、一峰院さんの門前に広々とした田んぼがひろがっ ています。昨年は、この田んぼで収穫されたお米を使った日本酒「はむら」が生 産.販売されましたが、この水田が春になると、一面チューリップの花園となります。十年前の四月、羽村に引越してきた私の妻が真っ先に案内してくれたのもこのチューリップの花園でした。春の暖かな日差しと色とりどりのチューリップ が眩しく映ったのを思い出します。
お彼岸が終わると、四月八日はお釈迦様の誕生日をむかえます。昔から「花祭り」 の呼び名で親しまれていす。故郷に帰省して出産しようと旅路急いでいた釈尊の母である摩耶夫人が、旅路の途中で産気 づき、道すがらの花園で出産という伝承があり、花祭りと云われるようになりました。いまここに二つとない尊い命を授かった喜びを釈尊は「天下天下唯我独尊 (てんじようてんげゆいがどくそん)の言葉で表現されました。
この一年コロナの嵐が吹き荒れ、我々もどこかいつもと違って浮足立っていたのではないかと思います。コロナ患者を受け入れる病院や医療従事者の方への誹謗や時短営業下営業しているお店、果ては緊急事態宣言下での公園で遊んでいる子供たちへの中傷の報道もありました。オリンピックでは男女差別、アメリカでは人種差別と、何だかお互いに足を引っぱり合っているようにも見えました。
咲いた〜 咲いた〜
チユーリップの花が〜
な〜らんだ な〜らんだ
あか〜 しろ〜 きいろ
どの花 見ても〜 きれいだな〜
童謡「チユーリップ」
どの花見てもきれいだな。チューリッ プは赤、白、黄色と様々な色がありますが、お互い色がちがうからこそ、一緒に咲いた時の味わいは深く、お互い色が違うからこそ、一つ一つが際立つのではないかと思います。
チューリップの花言葉は思いやりだそうです。浮足立っている時こそ、思いやのこころが大切なことを羽村のチユー リップが伝えてくれているよう感じます。
(宗禅寺 高井和正)
〜禅語に学ぶ〜
春在枝頭已十分~~幸せはすぐそこに~
寒さも和らき、暖かくなってまいりました。境内の梅の木にも花が次々と咲き、 春の訪れを感じます。
このご時世からか、咲き誇る梅の花を見ると、心までも温かくさせてくれる気がいたします。例年春は変わることなくやってきますが、その年々によって感じ方が変わるのは、人間ゆえのものですね。
「春の梅」と申しますと、このよぅな言葉がございます。
「春在枝頭已十分」
「春は枝頭(しとう)にあって己(すで) に十分」と読みます。この言葉は、中国 朱の時代、戴益(たいえき)という詩人の「春を探るの詩」の一節です。
終日尋春不見春
(終日春を尋ねて春を見ず)
杖藜踏破幾重雲
(あかざを杖つき踏破す幾重の雲)
帰来試把梅梢看
(帰り来たりて試みに梅梢を把りてみれば)
春在枝頭己十分
(春は枝頭に在って己に十分)
春を一日中探して歩き回ってみたものの、見つけることは出来なかった。藜の杖を つき足をひきずりながら帰ってきた。ふと家の梅の枝に手を伸ばしてみたところ、なんとつぼみが膨らみ香りを放っていた。まさに探していた春は自分の家にあったのだ。といぅ意味です。
春を探しに歩き回らなくとも、こんなにも身近にあつたのだということですね。
また、禅語としては「人は幸せを自分の心の外側に求めるが、身近にこそ存在する」という意味もございます。
幸せというのは、遠くに探し求めるのではなく、己にあるということに「気づく」ことも大切です。
家族と一緒にいられること、毎日おいしい食事がとれること、気の合う友人がいることなど、当たり前に感じているものこそ本当の幸せなのです。
「己に十分」な状態であると気がつくことで心に余裕が生まれ、毎日を活き活きと過ごすことが出来るのではないでしょうか。
コロナ禍で外出することが難しい今だからこそ、身近な幸せを探してみてはいかがでしよう。物を無くしたときと同じように、意外と目の前にあるものですよ。
(禅福寺 尚玄)
禅と共に歩んだ先人 山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)5
臨済禅と接し、その精神性や美意識に感化される事により、自分自身を高め、偉大な功績を残した先人達を紹介するという趣旨で進めていこうというこの項ですが、前回に引き続き、幕末から明治にかけて活躍し、現代の日本のあり様にも大きな影響を与えているといえる「山岡鉄舟」についてお話させていただきたいと思います。
赤貧生活
山岡家の婿養子となり、所帯をもった鉄舟でしたが、その生活は楽なものではありませんでした。亡くなった静山には母があり、また妻英子(ふさ)のほかに妹、弟がいて、それらを養っていかねばならなかったのですが、山岡家は薄給で食べていくのがやっとの有様(ありさま)、講武所(こうぶしょ)(幕府が旗本子弟の武術鍛錬のため作ったもの)の世話役にはなったのでしたが、さほど手当をもらえるものでもなく、さらに鉄舟が「尊皇擾夷(そんのうじようい)(天皇をあがめ、外国人をぬ興かる)」の国事に奔走しはじめて、その貧困に拍車がかかったのでした。
嘉永(かえい)六年(1853年)ペリー率いる黒船が浦賀沖に来航しました。国力を背景に威圧的に開国を迫るペリーに幕府は屈し、翌年「日米和親条約」を締結させられました。永年続いてきた「鎖国」政策が終わったのでした。そういった時代背景のもと、活発になったのが尊皇譲夷の思想でした。ちなみにその時鉄舟は十七歳、結婚は二十歳の時でした。貧しいながらも剣と禅の精進を欠かさない鉄舟でしたが、二十三歳のころ、再びやって来たペリーの艦隊に、今度は「日米修好通商条約」という新たな不平等条約を結ばされた幕府の姿勢を見て、憂国(ゆうこく)の志を抱く様になりました。江戸には諸藩を脱藩してきた浪士が多く集まっていましたが、志を同じくする者たちと交友を重ねていったのでした。少ない収入の中、志士達との交流で家計はたちまち逼追し、米にも事欠き、落ちている菜っ葉を漬けて食べる様になりました。金に困って家財道具から畳着物までだんだん売り払い、畳まで売ったので八畳の間に畳を三枚残してガラガラになってしまったそうです。一枚に机があって、ほかの二枚が寝食、接客の場になりました。何年たっても畳替えができないのでボロボロになって、机の畳は座る所が丸くくぼんで、しまいには床板に届いてしまったという事です。冬の夜も夜具が無く、ボロボロの古蚊帳にくるまって、夫婦で寒中抱き合って寒さをしのぎ寝たそうです。
衣食住、完全に破綻している様にみる山岡家ですが、妻英子(ふさこ)は何も不平をいわず、また鉄舟もその貧しさを楽しむかの様に過ごしていました。そんな中で鉄舟の人生を変える人物と邂逅(かいこう)します。それが出羽の浪人、清河八郎(きよかわはちろう)でした。
以下次号
(一峰 義紹)
禅寺雑記帳
◆新型コロナウイルス感染症の禍は未だ収まらず、年初から首都圏は緊急事態宣言が出たままでしたが、ワクチン接種も順次行われる予定とのこと、長く暗いトンネルの出ロがようやく見えてきたようです。皆様にとって良い新年度になりますよう願ってやみません。
◆お釈迦さまは私たちの生きるこの世界を「サハー」と呼びました。これを音訳したものが「娑婆(しゃば)」で、意訳したものが「忍土」です。「苦しみを耐え忍ぶ場所」というのがこの言葉の意味なのです。
◆お釈迦様は苦しみの原因を「思い通りにならない」事とされました。「生まれ」(性別、容姿、、能力、環境など)は選べないし、「老い」「病気」「死」のどれも避けようがありません。この根源的な四つの思い通りにならない「生老病死」の事を「四苦」といいます。
◆さらに、愛する人と別れなければならない「愛別離苦」、嫌な人とも関わらなければならない「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めても手に入れられない「求不得苦(ぐふとっく)」、人としての体と精神を構成する五つの要素から生じる「五蘊盛苦(ごうんじようく)」の四つの思い通りにならない事をあわせて「四苦八苦(しくはっく)」といいます。
◆私たちの生きるこの世界は「何一つとして自分の思い通りにならないから耐えなければいけない世界」なのです。
◆私たちは科学や文明の発達進歩によって色々な事をコントロールして、毎日を「思い通りに」生きているつもりになっていたのではないでしょうか。特にスマートフオンを手にすると万能のカを手に入れたかのように錯覚し、それによって自分と違う意見を目にすると攻撃を始め、まるでそれが正義であるかのように自分の号一『葉に酔い、袋叩きにして引きずりおろすといったような不寛容の連鎖は目に余ります。
◆「思い通りになる」ことが「当たり前」だから、「思い通りにならない」事を受け入れられずにイライラする、これが今の私たちで、コロナ禍はこれが大間違いだった事を教えてくれたのです。
◆本当は何もかも自分の「思い通りにならない」事が「当たり前」なのです。ウイルスなどによる疫病、地震や台風などの自然災害を私たちが完全にコントロール出来る筈がありませんし、また世の中には色々な人がいて、自分と違う意見があるのが当たり前なのです。
◆「思い通りにならない」事が「当たり前」なのだと考えられたら、日々の生活が少し楽に過ごせるようになると思いますし、そんな中で、もし「思い通りになる」事があったらその時本当に「有り難い」事だと感謝して、幸せを感じることが出来るのではないでしょうか。
◆コロナもやがて終息する筈です。その後に喉元過ぎれば熱さを忘れるとならないようにしたいものです。
(禅林 恭山)